明日はきっとえぇこつ待っちょる

    2012.05.10 Thursday
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私など今まで生きてきて、慟哭しなければならないほど悲しみそして苦しんだことなどあっただろうか。思い返せば、どうってことないことばかりで、身に降りかかる理不尽なことで打ちのめされたことがない。いや、敢えてそのようなことには近づかず回避してきたのかもしれない。だから弱々しい人間のままなのだ。

鄭義信(チョンウィンシン)さんの「パーマ屋スミレ」を映像でやっと観ることができた。前作「焼肉ドラゴン」は舞台で観たが、その時の感動は今も忘れることが出来ない。大いに笑わされ、大いに泣かされてしまった。体の中心部から溢れてくるものを抑えることが出来ずに、震えながら涙が出てくるのだ。観客に媚びているわけでもないのに、何故あんなにも舞台と客席が一体となれるのか不思議でならなかった。

そして今回の「パーマ屋スミレ」。映像なのでスタートアップはゆっくりめではあるが、どんどん惹き込まれていく。気づいた時には顔面をくしゃくしゃにして泣いていた。登場人物の在日の人たちに、あまりにも理不尽なことばかりが幾重にも覆いかぶさっていく。そんな中でも人を愛し、懸命に生き抜こうとしていくその逞しさに心を打たれていくのだ。



世の中は理不尽なことが多すぎる。その理不尽なことは、大抵の場合、なんらかの得をしている人たちからの社会のしわ寄せであり、弱者への差別に繋がっている。私自身に理不尽なことが起きていないと感じているのは、それは私が差別する側に立って生きてきたからだろうか。

この芝居は60年代の福岡県大牟田市の炭鉱町の在日が住む「アリラン峠」にある理髪店が舞台となっている。「パーマ屋スミレ」はその店の名前ではない。理髪店をしている主人公の須美がいつか持ちたいパーマ屋さんの名前である。ポマードではなく香水の匂いがする店をしたいと夢見ていたのだ。

なんとその須美さんが今も生きている。アリラン峠に住み続け、今も近所の老人相手に鋏を持っていると狂言回しが言う。自分で作ったマッコリを近所の老人と飲みながら昔を語っているのだろうか。いや、相変わらずの日本を嘆いているのだろうか。



憲法記念日のつどい

    2012.05.04 Friday
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    「九条の会おおさか」の憲法記念日のつどいに参加してきた。
    第2部講演の関西大学法科大学院教授の木下智史さんのお話を自分のメモ替わりとしてここに記録する。

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    日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。当時の内閣総理大臣の吉田茂は、当初8月11日に公布し、その半年後の紀元節の2月11日に施行するつもりだったが、審議が遅れたために間に合わなくなり、明治節の11月3日に合わせた。

    1952年までの日本は、連合軍の統治下であったので、憲法記念日は国をあげてのお祭りをしていたが、その年にサンフランシスコ講和条約が締結されてからは、一気に熱が冷めたように政府は何もしなくなった。しかし、日本国憲法は65年間変えられることなく続いてきた。これは国民の力である。

    憲法記念日にするべきことは、何故、日本国憲法ができたのかその歴史を考え、そして、その憲法のもとで、日本は今どのような状態であるのかを考えるべきだ。

    2000年に憲法調査会が各議院に設置され、そして2011年10月に憲法審査会が設置された現在は、第3次の改憲ブームに突入しようとしている。

    第1次は1952年から始まった。サンフランシスコ講和条約発効に伴う独立回復の機運が高まった当時は日本国憲法の支持率がとても低く、「天皇を元首に」「軍隊を持つ」などのついての声があがっていたが、次第に「九条を変えてはいけない」という声が大きくなってきた。

    第2次改憲ブームは90年代の、湾岸戦争がきっかけだった。国際貢献のために自衛隊を海外に派遣できるように9条だけを変えようという動きが大きくなった。それに合わせて、以前からの改憲派が9条以外も変えようとしたために、改憲派が分裂してしまい、また「九条の会」が全国規模で発足されたために、そのブームが終わってしまった。

    そしてこれから始まる第3次改憲ブーム。焦点の一つ目は、「緊急事態」。震災復興の遅れを憲法の所為にして、緊急事態という項目を掲げている。果たして復興の遅れは憲法の所為であるのか。

    二つ目は「一院制」。ねじれ国会の所為で、普天間問題、TPP、消費税などの重要案件が審議できないとしているが、果たしてそうであるのか。国民の支持を得られていないからではないか。

    三つ目は「首相公選制」。今の日本の首相は短期間で替わってばかりであるが、選挙で選べば、最低4年間しなければならなくなるという発想だ。しかし、任期途中で人気がなくなってもそのまま首相をやらせていいのだろうか。また、首相と国会の関係はどうなるのか。第1政党に所属していない首相になった場合、それで国会は運営できるのか。

    四つ目は「憲法改正手続きの緩和」。各議院の総議員の3分の2以上の賛成を、2分の1としたり、国民投票もなくそうとしている案さえある。権力を持っている者たちが、簡単に憲法を変えられないようにしている仕組みを破壊しようとしている。

    以上のように、改憲のポイントで「9条」をあまり全面的に出さないようにしているのが巧妙的である。改憲案はいろいろあるが、どんな憲法の下で暮らしたいのかを考えて、私たちは選ばなくてはならない。

    このような集会に参加するような私たちはマイノリティであるがゆえ、どうして憲法ができたのか、その憲法に照らしあわえて今の日本はどうであるのかを、自分の言葉でたくさんの人たちに伝えて、広めていかなくてなならない。


    東大話法???

      2012.04.03 Tuesday
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      今日の毎日新聞の夕刊にこんな記事が載っていた。

      http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120323dde012040042000c.html

      いわゆる「原子力ムラ」の人たちの言い逃れについて書いているのだが、下の「東大話法の規則」だけを読むと、「原子力ムラ」というよりも「維新ムラ」ちゅうか、「ハシズム話法」そのものやんけ、と思ったのであった。
       

      ◇東大話法の規則

      1、自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。 

      2、自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。 

      3、都合の悪いことは無視し、都合の良いことだけを返事する。

      4、都合の良いことがない場合には、関係ない話をしてお茶を濁す。

      5、どんなにいい加減で辻褄が合わないことでも自信満々で話す。

      6、自分の問題を隠す為に、同種の問題を持つ人を、力一杯批判する。

      7、その場で自分が立派な人だと思われることを言う。

      8、自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。

      9、「誤解を恐れずに言えば」と言って、うそをつく。

      10、スケープゴートを侮辱することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。

      11、相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。

      12、自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。

      13、自分の立場に沿って、都合の良い話を集める。

      14、羊頭狗肉。

      15、わけの分からない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。

      16、わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。

      17、ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。

      18、ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。

      19、全体のバランスを常に考えて発言せよ。

      20、「もし○○○であるとしたら、おわびします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

      (安冨歩著、明石書店「原発危機と『東大話法』」


      最後に伝えたかったこと―故人に届けたい47のメッセージ

        2012.03.18 Sunday
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         Amazonのレビューでは評価が真っ二つに分かれている。一つ星が7人、5つ星が6人、それ以外はない。一つ星をつけている人たちは、フェイスブックで著者の瀧本さん自身が書いている「携帯に残された最後のメール」についての真偽を問いただし、批判している。また震災を食い物にするなとも。

        「携帯に残されたメール」の真偽は僕にも分からないし、震災の被災者を食い物にするようなことはしてはいけないと思う。しかし、この本は、震災で亡くなった人たちのことは取り上げられているかどうかは定かではない。何年も前から瀧本さんが葬儀や法要で遺族から聞いたことを書き留めたものを本にしたと書いている。「携帯に残されたメール」の話も掲載されていない。

        僕は素直に泣かされてしまった。短いストレートな表現に、いろんな思いが詰まっているのを感じた。しかし、伝えるべき相手が亡くなってからでは遅いのだ。「感謝は貯金はできない」という瀧本さんの言葉は得心させられる。感謝をしてそれを相手に伝えるということは、結局、自分のためであるのだと思った。「感謝は人の為ならず」


        いのちをつなぐ〜纐纈あやさん〜

          2012.02.26 Sunday
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            「祝の島」監督の纐纈あやさんにお会いしてきた。上映会の後の講演会や交流会でたっぷりとお話を聞かせて頂いた。映画は今回で三回観たことになるが、観るたびに感動があり、とても心地よくなる映画である。昨年、神戸で小出裕章先生と纐纈あやさんとの講演会で、初めて彼女のお話を聴き、その時から是非もう一度お話を聴きたいと思っていたところ、なんと今回、居酒屋で隣に座ってお話を聞けることになり、夢にも思っていない幸運が訪れた。

           今まで色んな方にお会いしてきて、“ホンマもん”の人ほど腰が低く、威圧感がないということを経験してきたのだけれど、やはり纐纈さんもそんな人だった。とても明るく気さくでお酒が好きな人だった。そしていっぱい喋りながらも、自分から遠く離れた席に座っている人のグラスが空いていることに気がつく気配りの細やかな人だった。

           祝島には日本一の棚田がある。纐纈さん曰く、祝島の奥のほうにあり、一時間ほどかけて歩いて行くと急に視界が開けて、そこには天空にそびえる城壁のような棚田が見えてくるそうだ。纐纈さんはその棚田が大好きで、棚田だけで一本映画ができるほど撮影をしたそうだ。

           そこでは平萬次さんという方が70年間、米作りをしている。その萬次さんの祖父の亀次郎さんが、一生をかけて直径1メートル以上もあるような岩を積み重ね、数段の巨大な棚田を作ったのだ。亀次郎さんは、孫の世代の頃には農業も機会化されて大きな面積が必要になるだろうと考えて、当時の常識では大きすぎるような棚田を作ったそうだ。しかし、その次の世代には原野に戻っているだろうとも言っていたようだ。

           祝島の人たちは、目には見えない人たちの話しをよくするという。もう亡くなってしまった人たち、そしてこれから生まれてくるだろう子どもたちの話をする。今ある命は、過去からえんえんと受け継がれてきたからこそ存在し、そして未来につなぐために命があるということなのだろう。だから、祝島には日本一の棚田があり、そして原発に30年間も反対し続けているのだ。

           それに対して、原発の存在そのものはなんて刹那なものなんだろう。今この瞬間の享楽のために、未来を確実に壊している。

           纐纈さんは、「映画は目に見えないものを伝えるためにある」と言った。とても素敵な言葉だ。今は、目に見えないものがどんどん切り捨てられて、数字が要求される世の中になりつつある。そんな現代に警鐘を鳴らし続けていってほしいし、僕もなんらかの形で応援していきたいと強く思った。纐纈さんから元気をたくさん頂いた。感謝!



          観劇戯言『チャンソ』May

            2012.02.19 Sunday
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              何気にBSを見ていたら、あるチャンネルに目が止まった。ナイロビのスラムの再開発についてのドキュメンタリーだった。スラムを高級住宅街などにするらしい。その事業の入札は中国とインドが競い合っていて、取材した場所ではインド人が工事を仕切っていた。しかも武器を所持した警察に見守れながらだ。市長はスラムに住んでいる人たちのことなど眼中にない。掘建て小屋のような家々をブルドーザーで壊し、有刺鉄線で土地を囲い込み、それに抵抗して石を投げる人々に警察は発砲する。市長は言う。街を欧米諸国や中国のようにしたい。そこに住んでいる人たちは私には関係ない。何処へでも行けばいいと。
             すべては自分のために、何一つ他人には与えないというのが支配者の常であるとかつてアダム・スミスは言った。こうして世界は富めるものはさらに富み、貧するものはさらに貧していく。そして居場所を奪われていくのだ。しかし世界はそう単純ではなく、支配と被支配が幾層にも重ねられ、自分の位置が確認しずらくさせられている。

             かつて大日本帝国もアジア一円を我が物にしようと非人道的な行為を積み重ねてきた。そして戦後もその関係を国家としてではなく人として修復できたとは思えない。奪われた人たちはその傷跡から涙を流し続けている。そんな異郷の人たちが日本にいる。





             今日、劇団Mayの「チャンソ」を観てきた。大阪朝高に入学したチャンソがいろいろなものを背負いながら自分の居場所を探す物語である。

             「俺らは朝鮮人として生まれたんやない。朝鮮人を背負ったんや。俺らは朝鮮学校に入学したんやない。朝鮮学校を背負ったんや。」と本当は気の弱いチャンソが喧嘩の強い仲間に囲まれ、気負う。

             仲間たちは、日本人には容赦なく喧嘩を挑み、こてんぱんにやっつける。しかし、チャンソは虎の威を借りた吠え方なので、年下の日本人にも馬鹿にされる日々を送る。カン・グンソンは「お前のやり方は気持ち悪いんや。日本人は俺らの後ろの70万人を見よるんや。…あのな人間には向き不向きがあるんや。」と諭しながらも、仲間はチャンソを排除することはなかった。

             カン・グンソンは言う、「自分の負い目を血のせいにするな。もう喧嘩がだけが全てと違う。強さが形を変えるんや。ボクシングやラグビーにな。俺らはチョゴリを無くさんがために暴れとるんや。」

             やがてチャンソは「俺は何を恐れて、何に負けてたんやろ。」と自問自答をはじめる。そして片思いの彼女リュ・ソナに気持ちを伝えるのと同時に、かつて喧嘩に負けたことのある日本人に決闘を挑む。八戸ノ里駅ホーム停車時間120秒の闘いだ。その闘いにリュ・ソナが演奏するカヤグムが織り重なる。

             そんな彼らが朝鮮学校を卒業する時に、暴力ばかり振るっていた先生が言う。「卒業してもいつでも覗きにくればいい。俺はこの場所を死守しているから。」と。チャンソとは主人公の名前であり、「場所」という意味でもあるのだ。物理的な意味合いでの場所は、今現在でも追いやられているのが現実だろう。ネットウヨの類が現れ始めてから、殺伐としたもの感じる。しかし、この芝居からは心の拠り所である「場所」の居心地良さを羨ましく感じたのも正直な思いである。


            観劇戯言『異郷の涙』太陽族

              2012.02.13 Monday
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               今のハシモトを支持するような人たちは、所謂B層と言えてしまうのではないか。B層という言葉に、差別意識がちらつくのであまり使いたくはないが、彼の手法は普通に考えればとても許せるものではないから、そんな彼を支持する人に対しては大きな疑問符がついてしまう。完全に憲法が無視され、このまま放置すればこの国はとんでもない方向に行ってしまう。所謂A層の連中はその勝ち馬に乗って甘い汁を吸おうとしているだけだ。

               彼は知事の頃から文化を壊してきた。今は教育を叩き壊そうとしている。彼は新自由主義としてのグローバルな戦士を育てようとしているだけだ。もう新自由主義など破綻しているというのに。そして低所得層の目を、低め安定の公務員を叩くことに向け、溜飲を下げさせている。その公務員へのプレッシャーは処分をちらつかせながら異常なまでのやり方だ。そしてWTC購入での無駄遣いをうやむやにしたあげく、道頓堀をプールにするだとか、ヘクタールビジョンだとか、御堂筋を芝生にするだとか、わけのわからんことも言っている。選挙で選ばれた民意だとか言っているが、平松さんとの差は6:4であり、その「4」のハシモトに対する拒絶度はかなり高いものだと信じる。

               そんな中、日韓演劇フェスティバル参加作品の一つ、太陽族の「異郷の涙」を観てきた。時代は1961年、場所は鶴橋界隈か。舞台は在日が経営する旅館。そこへ登場する異郷の人たちの涙を描いている。旅館の娘幸子はどうも和田アキ子の小学生時代である。「うちはこの町嫌いやねん。みんなうつむいているか、遠くを見て涙してる。うちはチェジュ島なんか知らん。」と幸子は言い、歌手になる夢を語る。「ここじゃない何処かに幸せがあるとは思えない」とも誰かに言わせている。

               彼らは切り捨てられながらも、異郷の地でたくましく生きてきた。力道山は在日であることを隠しながら、敗戦後の日本人のヒーローとして活躍した。そして弟子の大木金太郎の中の在日を憎み、いじめぬいたとも。しかしながら大木はそれを愛情として受け止めていたという。

               最近は在日韓国朝鮮人問題も、学校教育で取り上げにくくなってきているようだ。教科書に載っていないことは教えてはいけないと言うらしい。自虐史観などと宣う。自分たちがやってきた非人道的な行為は反省してはならないそうだ。そんな教科書が日本のあちこちで採用されようとしている。大阪でも、ハシモトがもうそのお膳立てをしているので、数年後の教科書採択の時には、そんなことになる可能性が高いようだ。

               この先、他人の痛みを感じることができなくなる社会にさらに加速がついていくのだろうか。文化人たちは、どうか炭鉱のカナリヤとなって、叫び続けて欲しい。

              観劇戯言『blue film』桃園会第42回公演

                2012.01.28 Saturday
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              引き潮の時にだけ現れる海辺の駅。霧が立ち込めたそんな駅に佇む一人の女性「かがり」。かがりはその駅に降り立ったのか、これから列車に乗ろうとしているのか、おそらく本人にもわからない。

              しかし、ベンチに座っていた男性に声をかけられ、かがりは同窓会に来たのだということが分かったようだ。そこへ小学校時代の同級生や先生たちも現れるが、小学生になったり大人になったりと時間軸が定まらない。大人にならない一人の女の子がやがて、かがりと重なり合っていく。少女のかがりはスケッチブックに絵本を描いていた。その絵本の世界とも交錯していく。

              葡萄味のカルピス色の空。時刻は六時前。ブラック蝙蝠軍団が子どもたちをやっつける為に時間を止めてしまったのだ。宿題のドリルをまだしていないお腹の空いた子どもは夕刻に弱いからだ。しかし、その空は本当にこれから暮れてゆく空なのだろうか、もしかしたら明けていく空なのだろうか。子どもたちも先生もパジャマ姿となって現れる。目の前の海の青もやがてそれはブルーシートに。仮設住宅のテントとなって浮かんでくるのだ。

              三毛猫のような駅長がかがりに列車の到着を告げにくる。そこで初めて「ここは何処?」とかがりは問いかけながらも、自分で「ここは…」とその場所を明らかにする。

              かがりはこの街にやってきたのだろうか、それともこの街から離れようとしているのだろうか。干潮時に現れる駅だから、やはりそこは「死」の世界なのだろう。そこには名前も忘れてしまった同級生とともに童話作家を夢見ていた自分が居た。青い瓶の中に閉じ込められた怪獣が居た。青い景色しか知らない怪獣は成長して瓶を割って大きくなる。

              誰にも超えなければならないコトがある。それは単に忘れるだけでは克服できないのかもしれない。一度は向き合わなければならないのだろう。しかし、阪神大震災にしろ東日本大震災にしろ、あまりにも辛すぎて何も言えない。悲しいのは悲しい、辛いのは辛い、弱いのは弱いままでいいじゃないか。そんなあなたが好き、そんな自分が好き、そんな芝居をもっと観たい。

              笑門来愛

                2012.01.09 Monday
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                あけましておめでとうございます。
                上の下手くそな文字は、
                今年の年賀状用に書いたものです。
                「笑門来福」という言葉から「笑門来愛」と勝手に作りました。

                「笑門来福」はその文字の通り「笑う門には福来る」くよくよしていないで、明るく笑っているほうが、幸せがやってくるよという意味だと思いますが、その「幸せ」の次のステップとして「愛」という言葉に置き換えてみました。笑顔は周りの人に対しても愛のお裾分けをする行為ではないかと思うからです。愛あふれる一年にしたいものです。

                 「笑い」は大切です。そして「明るさは強さなり」だと思います。しかしその反面、笑っているだけで「幸福」が訪れたり「愛」が芽生えたりはしないとも思っています。「幸福」になるための努力が必要です。

                では私たちにとって「幸福」ってなんなんでしょうか? 
                美味しい物をお腹いっぱい食べること?
                縁側でひなたぼっこすること?
                巨万の富を得ること?
                愛する人に巡り会うこと?
                人によって様々でしょう。


                少し前、テレビで芸能人が「お金が全てや。お金で買えないもんはないねん。」と豪語していました。彼の本心かどうかはわかりませんが、今その人は暴力団との繋がりが問題となり芸能界を追い出されています。お金で買えないものはないなんて本心から思っている人が本当にいるんでしょうか。大金來福?


                でも、世の中は経済的な効果を得ることを最大の目標として18世紀ごろからその歯車は回りだし、その回転は加速をつけて現在に至っています。その結果、世界はどうなっているんでしょうか。

                もし世界が100人の村だったら、100人のうち20人は栄養不足で、1人は死にそうです。でも15人は太りすぎになっています。

                すべての富のうち、6人が59%を持っていて、すべてアメリカ人です。74人が39%を、20人がたったの2%を分けあっています。

                すべてのエネルギーのうち20人が80%を使い、80人が20%を分けあっています。

                75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがありますが、25人はそうではありません。17人はきれいで安全な水を飲むことができません。

                〜「世界がもし100人の村だったら」より〜


                あきらかに富めるものはどんどん富み、貧しい人たちはそこから抜け出すことができない状態になっています。


                2010
                年の世界の軍事費の合計は16300億ドルです。そのうちアメリカが1位で、6980億ドル(全体の約44%)日本は6位で約46826億円(約585億ドル)です。その軍事費をもっと平和的に有効利用できないもんでしょうか。

                ・世界の飢餓に苦しむ人(8.5億人)の1年分食糧---1040億ドル
                ・世界中の兵器を廃棄する---1720億ドル
                ・世界の全ての埋まっている地雷の除去---330億ドル
                ・全ての地雷被害者に義足・義肢などを贈る---3億ドル
                ・全地球の砂漠化防止---87億ドル
                ・世界中の人々に安全な飲み水と下水設備を提供する---90億ドル
                ・世界中の約2000万人の難民支援避難用テントや毛布---1億ドル

                上記の合計は3271億ドルです。アメリカの1年間の軍事費を使ってもまだお釣りがあるのです。なんて世界は矛盾しているのだろうと思います。特に馬鹿らしいのは、日本は、在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)年間1881億円(2.3億ドル)を、今後5年間米軍に支出することになっています。しかし、思いやり予算は米軍に対する経費全体の3分の1を占めているにすぎません。2010年度、日本は米軍基地関係経費に6729億円(7.92億ドル)という莫大な額を負担しています。

                それに対し、原発の賠償金として国から福島県の150万人の人に総額2160億円を支払うことが12月に決まりました。一人たった8万円(18歳以下と妊婦は40万円)です。同じ12月にアメリカのF35戦闘機を42機購入することも決定しています。来年度分4機は1機あたり99億円で、防衛省は来年度予算案に盛り込む方針です。


                話は最初に戻ります。やはりお金は大切で、人間らしい生活を送るためには欠かすことのできないものです。でも、少しでも贅沢な暮らしを、と求めた結果が、その欲望に歯止めが効かなくなり、世界中の人々を巻き込みながら、お金が偏ってしまったのでしょう。そしてお金をてっとり早く儲ける手段として「戦争」が利用されたのです。


                それぞれが自分たちだけの「幸福」を考えていたら、いつまでたってもこの状況から抜け出せないと思います。また、経済的な効率だけを重要視していくと、大切なものを見失ってしまうことでしょう。いや、すでにたくさんのものを僕たちは失ってしまいました。原発事故がその一つです。


                新年早々、ざれごとに付き合って最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。どうか今年もよろしくお願いします。

                 


                ユズリベキモノ

                  2011.12.23 Friday
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                   『ゆずり葉』 河井酔茗 作

                  子供たちよ。
                  これはゆずり葉の木です。
                  このゆずり葉は
                  新しい葉が出来ると
                  入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。
                   
                  こんなに厚い葉
                  こんなに大きい葉でも
                  新しい葉が出来ると無造作に落ちる
                  新しい葉にいのちをゆずってー

                  子供たちよ
                  お前たちは何をほしがらないでも
                  すべてのものがお前たちにゆずられるのです
                  太陽のめぐるかぎり
                  ゆずられるものは絶えません。

                  かがやける大都会も
                  そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
                  読みきれないほどの書物も
                  幸福なる子供たちよ
                  お前たちの手はまだ小さいけれどー。

                  世のお父さん,お母さんたちは
                  何一つ持ってゆかない。
                  みんなお前たちにゆずってゆくために
                  いのちあるもの,よいもの,美しいものを,
                  一生懸命に造っています。

                  今,お前たちは気が付かないけれど
                  ひとりでにいのちは延びる。
                  鳥のようにうたい,花のように笑っている間に
                  気が付いてきます。

                  そしたら子供たちよ。
                  もう一度ゆずり葉の木の下に立って
                  ゆずり葉を見るときが来るでしょう。






                  ボクタチ大人は子供たちに何を譲れたというのだろう。
                  どんなものを譲ろうとしているのだろう。

                  自分たちの享楽のためにだけあらゆるものを消費尽くし、
                  そしてそのことが価値があるともてはやされ、
                  挙句の果てに手を付けてはならないものにまで手を出し、
                  災いが降りかかる。
                  にも関わらず、まだ厚顔無恥ぶりを晒し続けるのだろうか。

                  「ゆずり葉」を読むと心が締め付けられる。
                  「いのちあるもの」を一生懸命に作ってきたんだろうか。
                  「うつくしい」ものは壊されていき
                  「ひとりでにいのち」は縮んでいるようにしか思えない。
                  嫌がっても全てのもが押し付けられる「おしつけ葉」だ…。



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