マラライ・ジョヤ来日決定!

    2011.08.27 Saturday
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     あのマラライ・ジョヤが

    ついに日本にやってくる!













    <RAWA連よりのメッセージ>




    ★☆★マラライ・ジョヤさん日本講演ツアー決定!★☆★
     
     この秋、私たちRAWAと連帯する会では、アフガニスタンで著名な女性活動家で元国会議員のマラライ・ジョヤさんを日本にお迎えする運びとなりました。

     その背景には9.11後のアフガニスタンが大きく関わっています。米軍のアフガン攻撃から丸10年が経ちました。『対テロ戦争』と位置付けられたこの戦争を 欧米諸国も日本も支持・支援してきましたが、その結果アフガニスタンはどうなっているでしょうか?
     
     米軍・国連が承認したISAFによる空爆などで多くの民 間人を含む被害者を出しています。加えて、これに抵抗する「タリバン」などの反対勢力の反撃(自爆攻撃を含む)でもたくさんの一般市民が巻き添えに遭う状 況が続いています。
     


     米軍は開戦当初、攻撃理由の一つに「タリバンの女性への厳しい抑圧からの解放」を掲げていましたが、女性を巡る状況も改善 されず、女性の人権向上奉仕を掲げるトムソン・ロイター(英)のもと行われた調査でも「アフガニスタンは女性にとって最も危険な場所」という結果となりま した。

     かつて文明の十字路と呼ばれ繁栄したアフガニスタンは今や西アジアの最貧国となってしまいました。しかし、例年の現地訪問を通じ、私たちはそんなな かでも前向きに闘っている人がいることを知りました。今人々は何を望みどう行動しようとしているのでしょうか。



     今回現地からジョヤさんにお越しいただくのには、平和と人権、民主主義に向かうアフガニスタンの現状について生の声を聴ける、多数の市民を代表して何が必要なのかを話して頂ける という大きな意義があります。わたし達は給油法により自衛隊海外派兵を実現し、50億ドルという支援金でアフガン警察を支えて いる日本の支援の在り方も問い直さなければいけません。
      


     またこの講演会を通じ、RAWAへの支援とRAWA連への参加を働きかけ運動を広げ、アフガニ スタンを身近なものと感じて頂ける方を増やし今後の継続的な支援をめざしたいと思います。 ぜひ一人でも多くの方のご参加、ご協力をよろしくお願いしま す。





    ★☆★ 講演日程予定 ★☆★

    10/16(日)14時  広島市まちづくり市民交流プラザ5F研究室AB
    ★「アフガニスタンに真の平和と民主主義を」
    (JR「広島」から広電「袋町」徒歩3分)
    http://www.cf.city.hiroshima.jp/m-plaza/kotsu.html
    主催:マラライ・ジョヤ広島講演実行委員会
    問合:090-8602-4232(ヒナダ)


    10/18(火)18時半 沖縄教育福祉会館ホール3階大ホール
    ★「アフガニスタン元国会議員・女性活動家マラライ・ジョヤが語る
    〜占領下に生きる〜アフガニスタンの平和と民主主義を求めて」
    (モノレール「古島」バス「興南高校前」「古島」「古島インター」)
    http://kaikan.oki-htu.or.jp/tizu/annaizu/index.htm
    主催:マラライ・ジョヤ沖縄講演実行委員会
    共催:RAWAと連帯する会
    問合:TEL/FAX098-863-4776(沖縄仲間共同事務所Nオフィス)


    10/19(水)13時  沖縄国際大学 非公開授業


    10/21(金)18時  大阪女学院大学
    ★「マラライ・ジョヤの生の軌跡〜アフガニスタン女性人権活動家の物語〜」
    (環状線「玉造」下車西500m空堀町交差点北入徒歩8分、
    地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造」下車1番出口西へ徒歩3分)
    http://www.osaka-jogakuin.ed.jp/general/about/access.html
    主催:大阪女学院大学国際共生研究所
    協力:RAWAと連帯する会
    問合:06-6761-9341(国際・英語学部 奥本京子)


    10/22(土)13時半 同志社大学 今出川キャンパス 博遠館
    ★「アフガニスタンの民主化と今後の課題〜アフガン女性の視点から」
    (京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」京阪「出町柳」)
    http://www.doshisha.ac.jp/access/ima_campus.html
    主催:同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科
    アフガニスタン平和・開発研究センター


    10/23(日)13時半 吹田さんくすホール
    ★「私は声を上げる!祖国アフガニスタンに自由と平和、民主主義を求めて」
    (JR吹田駅すぐ吹田さんくす1番館の4階)
    http://www.parara.com/map/ekimae/suita_b3.htm
    主催:RAWAと連帯する会/マラライ・ジョヤ講演会大阪実行委員会
    問合:090-3656-7409(桐生)


    10/25(火)14時  院内集会 参議院議員会館 一般参加OK
    (地下鉄「国会議事堂前」or「永田町」)
    http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kokkaimap.htm


    10/26(水)19時  明治大学リバティタワー
    ★「アフガニスタンに自由と民主主義を求めて 元国会議員の闘い」
    (JR「御茶ノ水」or地下鉄「神保町」)
    http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html
    共催:RAWAと連帯する会/明治大学社会思想史研究会
    問合:090-4062-6715(RAWA連関東)


    10/27(木)15時  名古屋学院大学 白鳥校舎 翼館302号室
    ★「アフガニスタン社会・女性・国際協力」
    (地下鉄名港線「日比野」名城線「西高蔵」徒歩約8分)
    http://www.ngu.jp/outline/access.html
    主催:名古屋学院大学外国語学部国際文化協力科
    問合:msatake@ngu.ac.jp


    10/28(金)16時半 大阪大学 豊中キャンパス スチューデントコモンズ
    ★「アフガニスタンで平和を創るということ〜イスラムと女性の現在〜」
    (阪急「石橋」徒歩約20分or大阪モノレール「柴原」徒歩約15分
    http://www.osaka-u.ac.jp/ja/access/accessmap.html
    主催:大阪大学コンフリクトセミナー


    10/29(土)13時半 京都大学 吉田南キャンパス 人間環境学研究科 地下講義室
    ★「祖国に自由と真の民主主義を求めて
    〜占領・軍閥・原理主義との闘い〜」
    (京阪「出町柳」徒歩約10分、市バス「京大正門前」)
    http://www.h.kyoto-u.ac.jp/access/
    主催:PJ21(京都大学大学院 人間・環境学研究科 岡真理研究室)
    共催:RAWAと連帯する会/ピースウォーク京都
    問合:PJ21kyoto@gmail.com / 090-3656-7409(桐生)



    #時間や場所の詳細は情報を随時更新していきますのでご確認を願います。




     ★☆★ マラライ・ジョヤさんってどんな人? ★☆★ 
     

     
     ジョヤさんは2003年憲法制定のためのロヤジルガでの発言で世界中に知られました。そこに居並ぶ戦争犯罪人らに対し、その罪をこそ問わねばならないと糾 弾、まだ24歳の地方出身女性の勇気ある声には拍手が沸きましたが、議長はマイクの電源を切り発言を遮り、その場から追放しました。

     しかし2005年、 ジョヤさんはファラー州から国会議員に立候補し、見事2位で当選。権力による圧政を批判した発言で議員資格を停止された後も、命を狙われながら活動を続け ています。正義と向き合う彼女に希望の輪が集まり世界で支持が広がっています。

     


     1978年生まれ アフカ゛ニスタン・ファラー州出身。イランやパキスタンの難民キャンプでの幼少期を経て、祖国タリバン政権下で女性の教育や医療向上に大きく貢献。これまで女性のための平和賞、光州人権賞など人権に関わる数多くの賞を受賞。

     BBCニュースに最も勇気あるアフガン女性と評され、そのロヤ・ジルガでの発言が放映され一躍有名に。2011年にはガーディアン誌が「世界のトップ女性活動家100人」に選出。ハーバード・インターナショナルのインタビューでも占領軍、女性の人権や民主主義を語った。
     




    ★☆★ ボランティア大募集!! ★☆★

     ツアーを成功させるために ご協力をお願いします。当日運営、宣伝、カンパ集め、翻訳、etc. できることで支えて下さい。 歓迎します。下記連絡先までぜひお申し出をお願いします。

    マラライ・ジョヤ講演会問合せ・連絡先:RAWAと連帯する会 
    090-3656-740九(桐生)
    (あっとまーくを@に変えてくださいね)




    ★☆★ RAISING MY VOICE 日本語版 ★☆★
    来日にあわせてジョヤさんの自伝「RAISING MY VOICE」の
    日本語版が耕文社より発刊される予定です。ご期待下さい。

    RAISING MY VOICE 017

      2010.04.18 Sunday
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        この間、アメリカ合衆国もアフガニスタンに関わっている。私たちの国を解放するためのムジャヒディーンの正当な闘争という名目で、グルブディン・ヘクマティアルやアブドル・ラスル・サヤフやオサマ・ビン・ラディンのような最悪の極端主義者たちを合衆国が資金をだし、訓練し、武装化させた。もちろんオサマビンラディンはアフガニスタン人ではない。アメリカとパキスタンが裕福なサウジアラビアの極端主義者たちと共謀して、引き抜き、訓練して資金を与えた何千という外国人の中の一人である。この介入はソビエト連邦の最終的な崩壊を導くことを手助けし、冷戦の終結に貢献した。しかし、それはよく武装化された原理主義者たちで私たちが苦しめられる結果となったのだ。ロシアが追放される以前でさえ、多くの極端主義者たちのグループはお互いに戦い始め、アフガニスタンの人々の暮らしに恐怖をもたらしていた。結局、両方の超大国は自分たちの興味のためにアフガニスタンを利用したのだ。そして私たちアフガニスタン人にとって、この戦争はいまだ回復することさえできない大きな破壊をもたらしたのだ。そして、それは私たちが今日もまだ向き合っている進行する悲惨さが成長するための種を蒔いたのだ。

       アフガニスタンを離れ、私たちは最初に東イランにあるザヘダン市を訪れた。私たちは私たちの計画が多くの人に知られないように気を付けた。何故なら、アフガニスタン当局は戦争が原因の大規模な移住を止めようとしていたからである。と同時に、合衆国とその同盟国やパキスタン、イランは国外脱出を奨励していた。何故ならロシアと戦うために当時武装したムジャヒディーンを引き抜くことが容易かったからである。パキスタンとイランは避難民の数が増えることを望んだ。それは国連や他の提供者からのお金を彼らはもたらしてくれるからである。またこれら近隣諸国は、彼らのスパイとして引き抜いたり、コントロールできる政党を作るために、避難民たちの中で工作した。この数年間に8つの新しい親イラン派政党が組織化され、パキスタン諜報部 ISIの統制下にある7つの政党が作られた。




      RAISING MY VOICE 016

        2010.03.30 Tuesday
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         しかしながらよくあるケースでは警察当局はかなり無慈悲であった。反体制の疑いがある家を通りすがりに、子供やゆりかごの中の赤ん坊でさえ当局は殺したという話を何度か聞いたことがある。

         これらの年は、あなたは想像できると思うが、私の母にとっては、感情的にかなりつらかった。すでに述べたが、私の父が足を失ってすぐ後に、彼はひたすらアフガニスタンを去らなければならなかった。私たちは、父が隣国イランで避難していると信じたかったが、しかし、母が夫の知らせを聞くことは、長年まったくなかった。国中に猛威をふるう戦争があり、私たちには伝える手段や、メッセージを受け取る手段さえなかった。

         私の母は最悪を恐れ始めた。そんな時、私が14歳の時だった、母の兄弟のアザード伯父が劇的な知らせをもって現れたのだ。父がまだ生きている!私たち全員がただちに出発してイランにいる父と落ち合う時がきたというメッセージも伯父は運んできたのだ。母は自分の耳を信じられなかったし、夫が本当に生きていることも信じることができなかった。

         ロシアとの戦争はただ悪くなる一方だった。悲惨な紛争はすぐに終わるような兆候もなかった。そして、1982年、すでに何万人ものアフガニスタン人は戦争や残虐行為から逃れるために国外へと流出していた。私たち家族も国外脱出に加わったのだった。私たちは運べるものを詰め込んでファラ州を離れ、そしてアフガニスタンを後にした。アザード伯父、母、兄、妹…私たち全員は一台の車に積み重なるように乗り、イランへと向かった。私たちは祖父にさようならを言った。それが彼に会った最後になってしまった。彼はあとに残った。彼の最愛のファラ州から離れることを決して望んではいなかったのだ。1987年に彼がそこで亡くなった時、何百人という人たちが最後の敬意を示しにたくさんの遠くの村から訪れたということを私たちは聞いた。

         同世代の多くのアフガニスタン人のように、私は国外の難民キャンプで子供時代のほとんどを過ごした。戦争の過程の上で、文字通り百万ものアフガニスタン人が追放され、たいていはイランやパキスタンの窮屈なキャンプで生活している。この犠牲は1979年から1989年まで続いた10年来のソビエト侵攻で殺された百万以上のアフガニスタン人を含んではいない。



        RAISING MY VOICE 015

          2010.03.29 Monday
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           祖父はとてもおもてなしが手厚い人で、いつも自分自身よりも他人をたてる人であった。家族ではよく知られているひとつの逸話を子供の時に聞いた。それは、祖父が昼食を友人たちにおもてなしをしていた。そして、食事が配膳されようとしていたその時に、彼にひどく悪い知らせが届いた。彼の12歳の息子…私の父の兄である…は重い病気を患っていたのだが、その時に亡くなったのだ。客人たちのその知らせを打ち明けるよりも、食事を先に楽しんでもらうことを、いち早く確信していたのだった。彼がその悲しみを分かち合ったのは、食事も済み楽しい会話も終わってからであった。すべてのものが一緒に泣き叫び、喪失のひどい悲しみをお互いに慰めあった。彼は私たちの社会の中で、とても愛されていた。

           政府の警察の役人たちが、私たちの家を捜索し、私の父の居所について尋問をしに来た時に、祖父はしばしば彼らの行動について、恥ずかしい思いをさせたものだ。彼は間違った主人に仕えていることを分からせるために、愛国心と自尊心について彼らの心に訴えた。「アフガニスタン人がアフガニスタン人を攻撃し殺しているということは、恥ずかしいことである。」と彼はよく言ったものだ。
          「すみません、おじいさん。でも、私たちは私たちの仕事をしているだけなんです。」と警察官たちはよく答えていた。

           当局が我が家にやってきた時のいくつかのケースでは、祖父は宗教と政治を合わせた考えを語っている詩を朗読したり即興で作ったりしたものだった。彼は執筆や朗読の創造的な才能を持っていた、そして、優秀な伝道者だったのだ。

           ある日、警官たちは祖父に自分たちの実情を訴えた。「私たちは善良な人々です。」と彼は当然のように宣言した。「私たちはしなければならないことをしているのです。」

           祖父は即座に答えた。「はい、あなたたちは正しいです。私たちは本当に悪い人々です。どうか私たちを許してください。」

           警官たちはいたたまれなくなり、その場を立ち去った。

           また別の場面では、すでに投獄されたり殺された父の大学時代の友人や仲間たちがたくさん写っている写真の陳列を警察が眺めていた。警官の一人が父の写真を指さし、荒々しく「この男は何処にいる?」と尋ねた時、祖父の返答はとても美しい愛国心溢れる一遍の詩の朗読であったのだ。

           朗読が終わった時、幾人かの警官たちの目には涙が浮かんでいた。そしてまた、できるだけ早く彼らはその場を去っていった。





          RAISING MY VOICE 014

            2010.03.28 Sunday
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             しかし、彼が弟を深く愛したのと同じくらい、ババック伯父は多くの点で父とは違っていた。私の父は彼の世代のほとんどのアフガニスタンの男性とは似ていなかった。そして私たちの家庭には男尊女卑はなかった。私の伯父は、男性が家に来た時、少女たちはスカーフで頭を被うのを好んだが、私の父にとってはどうでもよいことだった。ある日、伯父はスカーフを買ってきて、私に身につけるようにお願いしてきた。伯父は私が他の男性と握手をするのも好まなかった。

             少女の時、私はラファに住んでいる父方の祖母ととても親しくしていた。私が彼女について知っていることのほとんどは、他の人の話が元になっている。彼女は私をたくさん愛した。そして食事の時など、しばしば私は彼女の皿から食べもの分けてもらっていた。これは大変な喜びであった、何故なら、私たちの伝統では、年配の人が一番良いものを食べることになっていたからである。祖母はかつて私の母に次のように言ったらしい。祖母の死後、私を彼女の墓に行かせて、水を供えさせて、三回叫ばせて欲しいと。「私は彼女の声が聞きたいの。」と祖母は言ったそうだ。

             私の父が亡命者となっていた日々、私の祖父母は私たちと一緒にずっと暮らしていた。祖父は歳をとっても非常に行動的なままであった。子供時代、彼が100歳を超えているということを聞かされた。しかし、アフガニスタンでは多くの人々の誕生日は記録されていなく、そしてしばしば誇張されていることがるということを理解しておかなければならない。彼は言葉の使い方が上手であった。そして彼が出会う新しい人たちに話しかけるのが好きだった。ある意味、彼は私たちの家族の中で最初の政治家であった。彼からこのような特性のいくつかを私が選りすぐったのだと考えることが私は好きである。





            RAISING MY VOICE 013

              2010.03.28 Sunday
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               父の延命のために、医師たちは彼の足を切断しなければならなかった。実際、彼らは3回手術しなければならなかった。彼は、ソビエトとの戦争の間に手足の一本を失くした何百何千人のアフガン人のうちの一人であった。Handicap Internationalによる2005年度の調査では重度障害になったアフガン人は867000人にまで達したと見積もられた。父に再起不能の重傷を与えたような地雷は、未だに国の至る所に埋められたままで、子供たちや農夫たちに害を与え続け、地雷の製造者たちが帰国した後もずっと邪悪な仕事をし続けている。

               あなたは想像できるかもしれないが、父の負傷は母にとってもトラウマとなり、辛いことであった。さらに悪いことに、彼が負傷を被った後まもなく、私たちと一緒に生活をすることが彼にとってはまったく危険すぎるようになってきた。ソビエトとアフガニスタンの操り人形たちは、この間、数千の反対者たちを殺し続けていた。ハーフィズッラー・アミーンの短い統治の間、傀儡政権自身が、刑務所で殺されたと言われる12000人以上の名簿を公表し、そしてそのことでヌール・ムハンマド・タラキーを非難した。私の父は多くの友人と同僚を失った。そして親ソ勢力は同じように彼を処分することを望んでいることを知った。だから、悲しくも彼は私たちの家族から離れなければならなくなり、亡命者として生きなければならなくなった。

              私の父が去った時、彼の兄であるババック伯父が私たち家族の面倒を見て、養ってくれた。退職者であったが、私たちを支援するために彼は教職の道に戻った。私が幼児の時にこのことが起きたので、私たちの関係性を明確には理解していなかった。そして私はダリー語では「お父さん」を意味する「ババ」という呼び名で私の伯父を呼び始めていた。私の人生においてババック伯父は私や私の全家族においてとても気心の知れた存在であった。彼は政治に興味のある人ではなかったけれども、彼は私の父のソビエトの占領に対しての活動の為に、三度投獄され拷問を受けた。当局は彼が弟の行方の情報を提供しないので、彼を罰し続けたのだ。後年、私の行動主義が人を悩ますことになったのは、彼が原因である。彼の心臓は海外でしか治療できないほど耐えがたい状態であった。ババック伯父は2006年7月に亡くなった。彼の死は私たち全家族にとっては残酷な嵐であった。そして、彼の治療費を支払うことができる境遇にいなかったことが、今も私を苦しめる。




              RAISING MY VOICE 012

                2010.03.28 Sunday
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                 しかしながら私の父は民主主義に関わることを堅く決心していた。彼はベッドカバーの下にタオルと枕を詰め込んで、従兄の助けを得ながら、寝室の窓からこっそりと抜け出した。昼食の時間あたりまで祖父は彼は眠っているものだと思っていた。しかし欺かれているとわかった時、彼は非常に怒ったが彼の無事もまた祈ったのだった。祖父の怒りに敬意を表して、父は一週間家に帰らなかった。結局、父は許され、家に連れ戻された。

                 父はこれら数年間、非常に多くの危険を引き寄せ、1970年当初、医学の勉強を中断して、16ヶ月間刑務所に入れられた。結局彼は、ソビエトの戦車と兵士がアフガニスタンに吐き出された1979年に学校を去らなければならなくなった。

                 多くの若者と同じように私の父は、侵略に対する戦いに参加した。私がまだ幼児の頃に、父は地方のムジャヒディンと一緒に訓練を始めた。村々の中で立ち上がった多くのそのようなグループと同じように、彼らは限られた資産ではあったが大きな自治組織であった。私の母の兄弟であるアザード伯父もまた自由の戦士に参加した。そして彼はしばしば、秘密作戦の間、父と一緒に州内を旅した。

                 ある夜、私たちの村の近くの山にある彼らの本部がソビエト軍から攻撃された。激しい戦闘が数日続いた後、彼らは食料と弾薬を使い果たしてしまい、撤退を余儀なくされてしまった。彼らが立ち去る前に、ロシア軍は本部を破壊し、殺された13人のムジャヒディンたちの周りを含むいたるところに対人地雷を植え付けた。

                 父とアザード伯父は遺族のために遺体の回収という恐ろしい任務を引き受けた。彼らの任務が完了する前に、父は地雷の一つを踏んでしまった。爆発の威力は彼の意識を吹き飛ばした。そして彼が地面の上で目覚めた時、彼の左足は爆発によって粉々にされ、大量に出血していた。幸運にもアザード伯父が近くに居て素早く反応し、出血を止めるために止血帯を結ぶ手助けをした。実は、父が自分の治療に対して指示をすることができ、そしてこのことが彼が生き残ることができた理由のひとつである。イランへ車での30時間の危険な道のりの後、アザード伯父は父に病院を手配することをやってのけた。私の父の命を救った伯父は、今日、私の警備のボスをしている。





                RAISING MY VOICE 011

                  2010.03.25 Thursday
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                   このクーデターはアフガニスタンの諸問題についてソビエトの直接的な内政干渉を導き出した。親ソ派アフガニスタン人民民主党とハルクとパルチャムという大きな二つの派閥は、お互いを大量追放するだけでなく、反対者に対しての鎮圧や抹殺は容赦なかった。最初のソビエトの操り人形であるヌール・ムハンマド・タラキーは、1979年までの一時期を支配したハーフィズッラー・アミーンによってすぐに殺害された。ソビエト軍がカブールに進んだ時、彼らはアミンを殺害して、より当てになる操り人形のバーブラーク・カールマルをアフガニスタンの統治者として任命した。

                   これらの日々の間、私の父はカブールで医学を学んだけれども、彼は民主主義の強力な支援者として、そして君主政治とソビエトの傀儡政権の敵として知られるようになった。当局は私の父と彼の活動について知ることになった。

                   しかし私の祖父は彼の関わりあいの範囲をいつも理解しているわけではなかった。ある日、父がラファへ帰ってきた時、政府の役人たちが父の活動について祖父に訴えにきた。祖父は家族を支えるために小さな薬屋を経営するとても信心深い人だった。彼は私たちの社会では尊敬されるべき年長者であり、そのことでラファではよく知られた人であったし、彼の扉は誰にでも開かれていた。しかしながらこの日、訪問者たちが彼に告げたことは、彼の気に入らないことであった。

                  「あなたの息子は大学でいくつかの学生デモに巻き込まれている。」
                  「いいや。私はそうは思わない。私の息子はただ勉強するために学校へ行っている。」と祖父は言った。

                   しかし政府の人間は、実際父は多くの抗議をする演説者であったということや、翌日ラファで再び演説をすることが計画されていることを説明した。学生運動での彼の関わりあいは警察諜報機関によく知られているということや、もしその関わりあいを切らなければ、刑務所に入れられてしまうだろうということを彼は祖父に告げた。祖父は私の父の安全について狼狽し心配し、そして次の日家に居ることを命令した。

                   いかに重大であるかを彼は強調し、もし外出すれば許されないだろう、あるいは家に連れ戻すことも許されないであろうことを付け加えた。事実、その夜、祖父は父の部屋の外から鍵をかけたのだ。





                  RAISING MY VOICE 010

                    2010.03.06 Saturday
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                     Maiwandのマラライはそのあとすぐに打ち倒された。彼女の犠牲は抵抗闘争家たちを鼓舞し、そしてイギリスに驚くべき敗北をもたらしたのだ。3000人近くのアフガニスタン人が死んだが、すべてのイギリス軍は破壊され、そしてこの勝利は独立戦争のわが国における画期的な指標となった。父は民主主義と人権がないがしろにされている時代にそれらの強力な支援者だったので、両親は私をマラライと名付けたのだ。

                     父は私の人生にもっとも重要な影響を与えるようになっていったが、一歳の頃はまだ父を知らなかった。国の政治的な情勢のために、父はしばしば私たちと離れ、隠れて暮らさなければならなかった。父は、1964年から1973年までの立憲的期間として知られている時代に成年となった政治的活動世代の一員だった。

                     1964年、大衆運動からの圧力の下、ザーヒル・シャー王は、君主制の究極的なコントロールを維持する新憲法を施行したが、女性の権利を保障する対策と選挙された国会の創造を含んだものであった。多くの新しい政党がこれらの年に形作られ、そして大学のキャンパスは政治的活動の温床となった。イスラム原理主義者たち、民族主義的改革者たち、そして共産主義者たちはある程度組織することができた。私の父はいかなる政党からも独立していたけれど、民主主義と人権運動についてはとても活動的で、1972年に大学へ入学して以来ずっとである。

                     相対的に短い寛容の時代は1973年に終った。王はアフガニスタン共和国の大統領として宣言した従兄弟のムハンマド・ダーウード・カーンによって転覆させられた。1978年、初期には王を追い出すことを手伝ったアフガン人民民主党(PDPA)の親ロシア派の指導者たちによって、ダーウードは「4月革命」と呼ばれるクーデターで殺害された。



                    RAISING MY VOICE 009

                      2010.03.06 Saturday
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                       一方、私の母は教育を受けるチャンスさえなかった。彼女の人生は平易ではない。彼女の両親は、彼女がまだ若い時に亡くなった。だから彼女は自分の子供と、兄弟たちの両方の面倒をみなければならなかった。彼女には一家の大黒柱となった二人の兄がいた。母方の祖父母は40年間部族のリーダーとして、またはMalik(族長)として、実直でとても尊敬されていた。Zikenの人々は彼を「スティックホルダー」と呼んでいた。何故なら、誰かが賄賂をとっているのを見たら彼はその人をむちで叩くということで有名だったからだ。たとえアフガニスタンの中で族長がもっとも裕福な人々の中にあるとしても、私の祖父はあまりにも正直すぎたので、自分のために何も持つことはできなかった。彼が亡くなった時、彼の子供には何も残らなかったが、周辺の村々は私の母と彼女の兄弟たちの生活を助けた。私の母が生まれた時、親族たちは父との結婚の手はずを整えた。このような風習は、今日でも相変わらずアフガニスタンの村々でありふれたこととして残ったままである。

                       私はしばしばレポーターたちに私の民族的な背景の説明を求められるが、私はいつも「私はアフガニスタン人です。」と答えている。タジク人、パシュトゥーン人、ハザラ人、ウズベキ人、Nooristani、バルーチ人、Pashaee、そしてその他の民族集団は私にとっては全て同じなのだ。Zikenでは、パシュトゥーン人とタジク人が混在し、姻戚関係になり、同胞として暮らしている。私たちを分断するために宗教や民族の違いを利用する人たちの利益になるようなことはしないでもらいたい。分断された国家はよそ者にとっては最もコントロールしやすく、そしてそれは私が私の全生涯に対して戦ってきたものだ。

                       私の両親は、アフガニスタンで人気のある名前、マラライと私を名付けた。それは、我々の国の歴史上の偉大なる自由の戦士の一人「Maiwandのマラライ」への賛辞として、私に与えられたのだった。学校で家庭でアフガニスタンの全ての子供たちは、イギリス帝国に対して独立を求めて闘ったマラライの勇敢な行為と犠牲的行為について学んでいる。1880年、第二次イギリス・アフガン戦争の間、彼女はとても若く、愛国心の強い女性であった。彼女はカンダハル州のMaiwandで英国植民地軍との重要な戦闘で負傷したものたちを介抱するために前線へと向かった。英国が優位に立ち、アフガン戦士たちが戦意を喪失しつつあるキーポイントで、彼女は死んだ使者から旗を譲り受け、戦闘へと男たちを導いた。マラライは、挑戦的かつ詩的な言葉でアフガン戦士たちを勇気付けた。

                         愛すべき若者たちよ! 
                         もしMaiwandの戦いで死ななければ、
                         神によって、
                         不名誉の象徴としてあなたは記録されるだろう。




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