明日はきっとえぇこつ待っちょる

    2012.05.10 Thursday
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私など今まで生きてきて、慟哭しなければならないほど悲しみそして苦しんだことなどあっただろうか。思い返せば、どうってことないことばかりで、身に降りかかる理不尽なことで打ちのめされたことがない。いや、敢えてそのようなことには近づかず回避してきたのかもしれない。だから弱々しい人間のままなのだ。

鄭義信(チョンウィンシン)さんの「パーマ屋スミレ」を映像でやっと観ることができた。前作「焼肉ドラゴン」は舞台で観たが、その時の感動は今も忘れることが出来ない。大いに笑わされ、大いに泣かされてしまった。体の中心部から溢れてくるものを抑えることが出来ずに、震えながら涙が出てくるのだ。観客に媚びているわけでもないのに、何故あんなにも舞台と客席が一体となれるのか不思議でならなかった。

そして今回の「パーマ屋スミレ」。映像なのでスタートアップはゆっくりめではあるが、どんどん惹き込まれていく。気づいた時には顔面をくしゃくしゃにして泣いていた。登場人物の在日の人たちに、あまりにも理不尽なことばかりが幾重にも覆いかぶさっていく。そんな中でも人を愛し、懸命に生き抜こうとしていくその逞しさに心を打たれていくのだ。



世の中は理不尽なことが多すぎる。その理不尽なことは、大抵の場合、なんらかの得をしている人たちからの社会のしわ寄せであり、弱者への差別に繋がっている。私自身に理不尽なことが起きていないと感じているのは、それは私が差別する側に立って生きてきたからだろうか。

この芝居は60年代の福岡県大牟田市の炭鉱町の在日が住む「アリラン峠」にある理髪店が舞台となっている。「パーマ屋スミレ」はその店の名前ではない。理髪店をしている主人公の須美がいつか持ちたいパーマ屋さんの名前である。ポマードではなく香水の匂いがする店をしたいと夢見ていたのだ。

なんとその須美さんが今も生きている。アリラン峠に住み続け、今も近所の老人相手に鋏を持っていると狂言回しが言う。自分で作ったマッコリを近所の老人と飲みながら昔を語っているのだろうか。いや、相変わらずの日本を嘆いているのだろうか。



観劇戯言『チャンソ』May

    2012.02.19 Sunday
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      何気にBSを見ていたら、あるチャンネルに目が止まった。ナイロビのスラムの再開発についてのドキュメンタリーだった。スラムを高級住宅街などにするらしい。その事業の入札は中国とインドが競い合っていて、取材した場所ではインド人が工事を仕切っていた。しかも武器を所持した警察に見守れながらだ。市長はスラムに住んでいる人たちのことなど眼中にない。掘建て小屋のような家々をブルドーザーで壊し、有刺鉄線で土地を囲い込み、それに抵抗して石を投げる人々に警察は発砲する。市長は言う。街を欧米諸国や中国のようにしたい。そこに住んでいる人たちは私には関係ない。何処へでも行けばいいと。
     すべては自分のために、何一つ他人には与えないというのが支配者の常であるとかつてアダム・スミスは言った。こうして世界は富めるものはさらに富み、貧するものはさらに貧していく。そして居場所を奪われていくのだ。しかし世界はそう単純ではなく、支配と被支配が幾層にも重ねられ、自分の位置が確認しずらくさせられている。

     かつて大日本帝国もアジア一円を我が物にしようと非人道的な行為を積み重ねてきた。そして戦後もその関係を国家としてではなく人として修復できたとは思えない。奪われた人たちはその傷跡から涙を流し続けている。そんな異郷の人たちが日本にいる。





     今日、劇団Mayの「チャンソ」を観てきた。大阪朝高に入学したチャンソがいろいろなものを背負いながら自分の居場所を探す物語である。

     「俺らは朝鮮人として生まれたんやない。朝鮮人を背負ったんや。俺らは朝鮮学校に入学したんやない。朝鮮学校を背負ったんや。」と本当は気の弱いチャンソが喧嘩の強い仲間に囲まれ、気負う。

     仲間たちは、日本人には容赦なく喧嘩を挑み、こてんぱんにやっつける。しかし、チャンソは虎の威を借りた吠え方なので、年下の日本人にも馬鹿にされる日々を送る。カン・グンソンは「お前のやり方は気持ち悪いんや。日本人は俺らの後ろの70万人を見よるんや。…あのな人間には向き不向きがあるんや。」と諭しながらも、仲間はチャンソを排除することはなかった。

     カン・グンソンは言う、「自分の負い目を血のせいにするな。もう喧嘩がだけが全てと違う。強さが形を変えるんや。ボクシングやラグビーにな。俺らはチョゴリを無くさんがために暴れとるんや。」

     やがてチャンソは「俺は何を恐れて、何に負けてたんやろ。」と自問自答をはじめる。そして片思いの彼女リュ・ソナに気持ちを伝えるのと同時に、かつて喧嘩に負けたことのある日本人に決闘を挑む。八戸ノ里駅ホーム停車時間120秒の闘いだ。その闘いにリュ・ソナが演奏するカヤグムが織り重なる。

     そんな彼らが朝鮮学校を卒業する時に、暴力ばかり振るっていた先生が言う。「卒業してもいつでも覗きにくればいい。俺はこの場所を死守しているから。」と。チャンソとは主人公の名前であり、「場所」という意味でもあるのだ。物理的な意味合いでの場所は、今現在でも追いやられているのが現実だろう。ネットウヨの類が現れ始めてから、殺伐としたもの感じる。しかし、この芝居からは心の拠り所である「場所」の居心地良さを羨ましく感じたのも正直な思いである。


    観劇戯言『異郷の涙』太陽族

      2012.02.13 Monday
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       今のハシモトを支持するような人たちは、所謂B層と言えてしまうのではないか。B層という言葉に、差別意識がちらつくのであまり使いたくはないが、彼の手法は普通に考えればとても許せるものではないから、そんな彼を支持する人に対しては大きな疑問符がついてしまう。完全に憲法が無視され、このまま放置すればこの国はとんでもない方向に行ってしまう。所謂A層の連中はその勝ち馬に乗って甘い汁を吸おうとしているだけだ。

       彼は知事の頃から文化を壊してきた。今は教育を叩き壊そうとしている。彼は新自由主義としてのグローバルな戦士を育てようとしているだけだ。もう新自由主義など破綻しているというのに。そして低所得層の目を、低め安定の公務員を叩くことに向け、溜飲を下げさせている。その公務員へのプレッシャーは処分をちらつかせながら異常なまでのやり方だ。そしてWTC購入での無駄遣いをうやむやにしたあげく、道頓堀をプールにするだとか、ヘクタールビジョンだとか、御堂筋を芝生にするだとか、わけのわからんことも言っている。選挙で選ばれた民意だとか言っているが、平松さんとの差は6:4であり、その「4」のハシモトに対する拒絶度はかなり高いものだと信じる。

       そんな中、日韓演劇フェスティバル参加作品の一つ、太陽族の「異郷の涙」を観てきた。時代は1961年、場所は鶴橋界隈か。舞台は在日が経営する旅館。そこへ登場する異郷の人たちの涙を描いている。旅館の娘幸子はどうも和田アキ子の小学生時代である。「うちはこの町嫌いやねん。みんなうつむいているか、遠くを見て涙してる。うちはチェジュ島なんか知らん。」と幸子は言い、歌手になる夢を語る。「ここじゃない何処かに幸せがあるとは思えない」とも誰かに言わせている。

       彼らは切り捨てられながらも、異郷の地でたくましく生きてきた。力道山は在日であることを隠しながら、敗戦後の日本人のヒーローとして活躍した。そして弟子の大木金太郎の中の在日を憎み、いじめぬいたとも。しかしながら大木はそれを愛情として受け止めていたという。

       最近は在日韓国朝鮮人問題も、学校教育で取り上げにくくなってきているようだ。教科書に載っていないことは教えてはいけないと言うらしい。自虐史観などと宣う。自分たちがやってきた非人道的な行為は反省してはならないそうだ。そんな教科書が日本のあちこちで採用されようとしている。大阪でも、ハシモトがもうそのお膳立てをしているので、数年後の教科書採択の時には、そんなことになる可能性が高いようだ。

       この先、他人の痛みを感じることができなくなる社会にさらに加速がついていくのだろうか。文化人たちは、どうか炭鉱のカナリヤとなって、叫び続けて欲しい。

      観劇戯言『blue film』桃園会第42回公演

        2012.01.28 Saturday
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      引き潮の時にだけ現れる海辺の駅。霧が立ち込めたそんな駅に佇む一人の女性「かがり」。かがりはその駅に降り立ったのか、これから列車に乗ろうとしているのか、おそらく本人にもわからない。

      しかし、ベンチに座っていた男性に声をかけられ、かがりは同窓会に来たのだということが分かったようだ。そこへ小学校時代の同級生や先生たちも現れるが、小学生になったり大人になったりと時間軸が定まらない。大人にならない一人の女の子がやがて、かがりと重なり合っていく。少女のかがりはスケッチブックに絵本を描いていた。その絵本の世界とも交錯していく。

      葡萄味のカルピス色の空。時刻は六時前。ブラック蝙蝠軍団が子どもたちをやっつける為に時間を止めてしまったのだ。宿題のドリルをまだしていないお腹の空いた子どもは夕刻に弱いからだ。しかし、その空は本当にこれから暮れてゆく空なのだろうか、もしかしたら明けていく空なのだろうか。子どもたちも先生もパジャマ姿となって現れる。目の前の海の青もやがてそれはブルーシートに。仮設住宅のテントとなって浮かんでくるのだ。

      三毛猫のような駅長がかがりに列車の到着を告げにくる。そこで初めて「ここは何処?」とかがりは問いかけながらも、自分で「ここは…」とその場所を明らかにする。

      かがりはこの街にやってきたのだろうか、それともこの街から離れようとしているのだろうか。干潮時に現れる駅だから、やはりそこは「死」の世界なのだろう。そこには名前も忘れてしまった同級生とともに童話作家を夢見ていた自分が居た。青い瓶の中に閉じ込められた怪獣が居た。青い景色しか知らない怪獣は成長して瓶を割って大きくなる。

      誰にも超えなければならないコトがある。それは単に忘れるだけでは克服できないのかもしれない。一度は向き合わなければならないのだろう。しかし、阪神大震災にしろ東日本大震災にしろ、あまりにも辛すぎて何も言えない。悲しいのは悲しい、辛いのは辛い、弱いのは弱いままでいいじゃないか。そんなあなたが好き、そんな自分が好き、そんな芝居をもっと観たい。

      演劇集団よろずや「バイバイ」

        2011.12.18 Sunday
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        「演劇集団よろずや」の「バイバイ」を観てきた。
        かつて広島東洋カープに在籍した津田恒美という投手がいた。彼は巨人の原辰徳と直球の真っ向勝負をして原の左手を骨折させたり、二年連続三冠王の阪神バースを直球だけの三球三振に打ち取ったりなどの逸話があり、また空振りを取った時のガッツポーズやその笑顔などで「炎のストッパー」という愛称を付けられた伝説の投手である。しかし、彼は若くして脳腫瘍でこの世を去るのだが、彼を支え続けた野球仲間、姉そして妻との物語がこの芝居で描かれている。

        舞台の真ん中にマウンドがある。他には何もなくシンプルな舞台だ。歓声が大きくなるにつれ会場の照明が消えて真っ暗な闇になる。歓声が最大限になった時、マウンドにライトが当たる。一人の投手が立っている。野球帽を被りグローブは持っているが、よく見るとユニフォームではなくパジャマ姿だ。ゆっくりと高く足を上げ、大きく振りかぶる。筋肉の流れを感じるようなフォームだ。球を投げた瞬間、「ブン」と音がした。「つーちゃん、ここに居たの」と奥さんがいつのまにか横にたっている。歓声は消えていた。「うん」と津田が答える。

        こうやって芝居が始まった。最初から張り詰めた緊張感があり何かそれだけで胸がいっぱいになったような気がした。僕はあまり野球に興味はなく、だから球団や選手のことも何も知らないのだが、そんなことは全く気にはならなかった。野球のシーンは何度があったが、とても躍動感とキレがあり迫力を感じた。そして津田選手の野球にかける情熱や責任感、マウンドの上の男っぷり、そしてマウンドから下りている時の神経質なほどの気の弱さや周囲の人に対する優しさ、それゆえにみんなから愛されていたことが、痛いほど伝わってきたのだ。

        妻と「バイバイ」という台詞が数回いろんな場面で交わされるのだが、それがお互いなんとも可愛らしく、そしてせつなかった。その台詞を聞くたびに「ドキッ」とするのだ。とにかく芝居を観ながら途中、何度も泣いてしまった。特に最後の場面では感極まり、その為にどんな台詞だったのか逆に思い出せない。確か最後には「バイバイ」と言ったような気がしないのだが…、どうだったんだろう。

        芝居が終わった後、目に涙を貯めたまま、鼻水をたらしたまま、物販のコーナーにいた竹田朋子さんに会いに行ったら、爽やかなからっとした笑顔で「噛みまくりました〜」って。人を泣かせといて僕とのこの落差に、さすが女優!と思わずにいられなかった(笑)。寺田夢酔さんにも握手をして頂いた。「予約番号1番です。感動しました!」って。






        ふたたび「焼肉ドラゴン」

          2011.04.17 Sunday
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           時代設定は万博の頃で、舞台は大阪の下町のコリアンタウン。架空の町だ。共同水道が一本あって、下水道もないという設定らしい。戦後、空き地に不法占拠して建てられたトタン屋根のバラックがずらりと並んでいる。空港の近くにあるらしく、飛行機が離陸するたびに、トタン屋根ががたがた響く。舞台の左側は倉庫のようなバラックがあり、その前に裸の水道が一本立っていて、周りには錆びた一斗缶とアルミの洗濯ばさみで挟まれた洗濯物が干されている。倉庫の向こう側には、廃材やら自転車の車輪やら錆びた鉄材が無造作に積み上げられている。舞台の右側は「焼肉ドラゴン」。古ぼけた大きな看板が店の上に掲げられている。店の中には三人しか座れないカウンターと、四人も囲んだら狭いようなテーブルが一つ。奥は座敷になっていて、卓袱台が二つ。舞台右側には韓国の人形などが並んでいて、その上には汚れた換気扇が絶えず回っている。奥は、磨りガラスの障子があり、そこをあければ小さな箪笥が見える。障子の前には、一年中扇風機が置かれている。店全体は焼肉の煙の所為か、くすんだ色になっている。そして右手の倉庫と焼肉ドラゴンとの間は路地になっていて、段差のあるゆるい昇りの坂道になっている。


           もうそれだけで、僕は惹きつけられた。そして、倉庫の屋根の上に登ったその店の一人息子の台詞からこの芝居は始まる。「僕は、この町が嫌いです。」


           焼肉ドラゴンの主人は戦争で片腕を失っている。腕だけではなく、済州島で故郷も家族もなくし、日本から帰ることもできずにいたところ、妻に出会い、お互い再婚したという設定だ。そしてこの物語でも、大事なものを失くしてしまうのだ。喪失だらけの人生ではないか。「働いて、働いて・・・」という彼の台詞。家族の為に働き続けてきただけの人生。しかし、その家族も店も・・・。


           桜吹雪がトタン屋根に積もるのを見て、「こんな日は明日が信じられる。」と、リヤカーにわずかばかりの荷物と太った妻を積んで坂を登っていく場面で幕は閉じられる。


           TVの画面を通して見るだけでも、胸に迫るものがあり、涙が止まらなかった。これを生で見たらいったいどれだけの感動に襲われるのだろうと思う。ああ、生で感じたい。

           と、2009年の12月19日の日記に僕は書いていた。これはNHKのBSで観たのだった。

           で、先週の日曜、ついにその舞台を観てきたのだ。入場したらもう芝居が始まっていた。僕が遅れたのではない。開演までにはまだ20分以上あったのだ。お客さんが入場するところからもうその世界が始まっていたのだ。舞台では、客がカンテキで肉を焼いて食べている。煙が出ているから、どうも本当に焼いているようだ。ビールも泡がでている。三女の美花とその恋人の長谷川が何やら店の飾り付けをイチャイチャしながらやっている。肉を焼いている横で絶えずアコーディオンとチャンゴが演奏されている。もうそれだけで、これは凄い芝居になるぞという期待感が高まった。そして、「僕はこの町が嫌いです!」と開演した瞬間に、もう観客のほぼ全員の心をつかんだ状態になっていた。
           
           

           途中、休憩があった。ロビーからアコーディオンとパーカッションの音が聴こえてきた。なんと、今まで舞台にいた二人がロビーで演奏しているのだ。もういたれりつくせりだ。後半の部が始まるときも、そのまま演奏しながら客席を通って舞台に上がっていった。

           とにかく、テンポがよく笑いもふんだんにあり、ずっと笑わされていたと思ったら、後半はいつのまにか鼻をすすりながら、涙を流していた。あちらこちらからもすすり泣きや、呻き声が聞こえてきたりした。最後に龍吉とその嫁さんがリヤカーで退場する場面でも、笑いをとりながらも、会場は最高潮に盛り上がり、本当に割れんばかりの拍手となった。そしてぽつりぽつりと観客が立ち上がり始め、やがて全員が立ち上がっての惜しみない拍手となった。それはいつまでも止む気配がなく、カーテンコールは三回も行われた。舞台と客席の一体感を味わうことができた本当に素晴らしい舞台だった。いつかまた観たい芝居だ。 焼肉ドラゴン、サイコー!


          戦争童話集

            2011.03.27 Sunday
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             「戦争童話集」という芝居を観てきた。野坂昭如原作の「戦争童話集」から、「小さい潜水艦に恋したでかすぎる鯨の話」「干からびた象と象使いの話」「ソルジャーズ・ファミリー」「凧になったお母さん」の四編を「八月の風船」の話の中に織り込んで、風船爆弾工場で働いてた若者たちに四つの物語を語らせながら次第にその世界を演じていくというドラマツルギーだ。

             最初の鯨の話と象の話は題名から想像される通りの内容だ。大人ばかりの観客相手では少し気恥ずかしくなりそうな話だが、「ソルジャーファミリー」は南の島に残された兵隊が餓死していく過程で見る夢の話で、餓死していく現実とその時に見ている夢のファンタジーさとのギャップに、心の琴線を撫ぜられた。胎児になって顔も知らない母親のもとへ戻っていくところは想像力を刺激され印象に残るシーンとなった。

             そして「凧になったお母さん」は、空襲で火に囲まれた中で、我が子が脱水症状にならぬよう、自分の汗や涙、そして終いには体中から噴きだした血を与え続け、体が干からびて凧になって飛んでいくという話である。凄惨ながらも、空を飛んでいくシーンは美しく表現されていた。迫真の演技が、会場のあちらこちらから涙を誘っていた。

             舞台の演出は、巨大な白布を二箇所で釣り上げ、それを上下させながら青い光を当てることによって波や海中や空を表現したり、赤いライトを当てて揺らしながら表現する炎は、シンプルながらとても効果的であったように思う。その反面、舞台上に散らばっている様々な小道具が、少し猥雑な感じがした。特に黒い舞台の上に中途半端に白い布が散らばっているのは見苦しかった。そのあたりはもう少し工夫をするべきではないだろうかと思う。

             実はこの芝居は関西芸術座附属研究所第54期生の卒業公演だった。役者の初々しさと、その直向さが伝わってきて素敵な舞台だった。少しぐらいのミスなど気にならないほど熱いものを感じた。打ち込めるものがあるって素晴らしい。僕も何かしたくなってきた…。


            大阪のロマン

              2011.03.26 Saturday
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              また、これはイリュージョンだ。織田作の『可能性の文学』から、「可能性の演劇」とパロって称してもいいが、演劇というのは、すべてが「可能性」だから、そう、ことわる必要はナイ。戯曲も、演出も、役者も、照明、音響、その他スタッフワークに至り、観客に及んで、演劇は「可能性」のシロモノだ。なぜなら、演劇は、いつ始まり、いつ終わるとも知れず、何がため存在するのかもさだかでなはなく、なのに(あるいは、ゆえに)、私たちは、その可能性に魅せられて、過剰なエロスとタナトスの衝動を、何かに向けて(外部にせよ、世界にせよ、自己にせよ)発せずにはいられない。
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               「オダサク、わが友」の脚本に書かれている北村想氏の一文だ。まさにこの芝居はイリュージョンだった。時間軸と空間時間を少し歪めながら、変幻自在に織田作之助の世界が繰り広げられた。それは織田作之助の作品の中の世界であったり、デビュー前の田中絹代が何故か自由軒で女給をしていたり、その時に関東大震災を匂わす台詞があったり、坂口安吾と太宰治との三人の座談会で織田作之助の浮気相手のバーのマダムの話が出たと思ったら、そのマダムの口から東京で観た「青い鳥」の話になり、いきなり「青い鳥」が始まったりする。所々で手渡されていく「飴」はまさに大阪の「飴ちゃん」だと感じさせてくれる。演出もイリュージョンのように鮮やかで連続性がありそして余韻が感じられるものだった。僕自身が織田作之助の作品を読んでいたらもっと楽しめたことだろうと思うのが少し残念だ。

               織田作の女房一枝が素晴らしかった。初め出てきた時は、緊張して声が震えて出ていないのかと思うくらい下手くそに感じたのだが、それは完全に役に入り込んでいたからだというのが分かった時は、鳥肌がたってしまった。全然演じていることを感じさせないのである。本当に病気じゃないのかなと思うくらい、その立ち姿だけでそれが伝わってくるのだ。織田作を心から愛しているのが痛いほどわかった。速水佳苗さんは、素晴らしい女優だと思った。

               脚本の最後に、織田作はヒロポン中毒であったが、あえてそれは描写はしていないが「表現はされている信じている」とが書かれていた。確かに織田作自身のタナトスは描かれてはいなかった。「夢のような大阪、大阪のロマン、ロマンは生活の中にこそある」と彼に語らせていて、坂口安吾や太宰治よりもどれほどエロスに溢れていることか。しかし彼が生きた時代は生活の中にロマンなど求めることができただろうか。彼の妻も終戦の一年前に他界しているぐらいである。ヒロポンに手を出してもおかしくはなかっただろう。

               「オダサク、わが友」を通じて「大阪のロマン」を僕は感じることができた。素晴しい本であり演出であったように思う。なのにカーテンコールがなかったのが残念だった。ああ一人でも拍手を続ければ良かった…。


              音楽の時間

                2011.03.19 Saturday
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                 3月11日の朝は、ピンク色した朝焼けだった。とても不思議な気がしたので、バス停に急がなくてはいけなかったけど、思わず写真を撮ってしまった。でもカメラにはあまり鮮やかには写ってはいなかった。

                 その日の夕方も光がとても綺麗だったので、撮影していたら、上空が急に曇ってきて雪が降りだした。気持ちが悪かったので急いで地下鉄に乗り込んだ。

                 それからの週末はネットとTVに釘付けになってしまい、三本の芝居を見る予定だったがキャンセルして一歩も表に出なかった。とても絶望的になっていた。その所為か体調がさらに悪くなってしまった。なんと血圧が185-115になっていた。これでは放射能にやられる前に脳の血管が切れそうだ。

                 なので今日は、心を潤しに芝居を観に行ってきた。リリパットアーミー兇痢峅山擇了間」だ。芝居が始まるまでの音楽が一切なく、波の音で始まった。「音楽」とは要するに「国歌=君が代」のことだったのだ。明治政府が「世界基準」としての国歌を雅楽局と海軍軍楽隊に作曲するように要請したことに始まる物語だ。もちろんシリアスなものではなく、喜劇タッチに描かれている。宣教師が賛美歌をアコーディオンで演奏しながら、日本人が百人一首を歌う場面など、なんでこんな場面に感動するんだと思いながら涙が出たりもした。

                 しかし、わかぎゑふさんがどんな思いでこの本を書いたのか気になる。描き方が永井愛さんの「歌わせたい男たち」とあまりにも真逆な物語であるように思う。芝居の中で「天皇を中心とする国家を作るために歌を作るのか」という台詞もあったが、心の何処かで違和感を感じていた。

                 国に寄り添いすぎている…。それの何処が悪い? 芝居ってもともと市民のもので体制側を揶揄するようなものではなかったのだろうか。亡くなった中島らもさんは、大麻は認められるべきだと言うようなとてもスリリングな人物だった。そんな時代のリリパットアーミーからは考えられないような芝居だったように思う。いや、今の日本の危うさ(今回の事故のことではない)を感じる人にとっては、スリリングな内容であったかも。


                 


                天保十二年のシェイクスピア

                  2011.02.26 Saturday
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                  「天保十二年のシェイクスピア」を観てきた。原作は井上ひさしで、シェイクスピア全戯曲37作品の要素を様々な手法で盛り込んだ3時間20分もの大作だ。何度か上演されたことがあって本来は4時間を超えるらしい。確かに長くて後半は腰が痛くなってしまったが、とても面白い芝居だった。

                  芝居の流れも台詞もテンポが良く、言葉が洪水のように溢れかえっているが聞き取りにくいことはなく、すうっと耳の中に流れてくる。言葉に隙間がないのだ。アドリブなど入る余地のない完璧な井上ひさしの世界が構築されている感じだ。またポルノチックな言葉も平易に使われているけれど何故か下品には聞こえないのが不思議だ。

                  僕はシェイクスピアなどほとんど知らないに等しいのだけれど、それでも充分に楽しめた。でもシェイクスピアを知っていればもっと楽しめただろうにとちょっと悔しい。今後機会があればシェイクスピアの劇を知っていきたい。

                  とにかく、華やかでテンポが良くエロチックでコミカルで、役者さんたちのイキイキとした演技やパワーに圧倒されるお芝居だった。観て良かった!

                   


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