その日のあとで〜フクシマとチェルノブイリの今〜

    2011.06.29 Wednesday
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    これまで技術先進国の日本ではその日は決して来ないとされていました。絶対に壊れる事はなく安全とされてきた日本の原子力発電所。しかし3月11日地震と津波で全ての電源が失われ原子炉の冷却が出来なくなり、大量の放射性物質を放出する事故が起きたのです。

    枝野:15時30分には596,4もちろん平常時よりは高い数字ですが人体に影響のない程度の水準に下がってきて

    25年前旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きました。放射能による汚染は史上最悪の規模になりました。発電所の周囲には人の住めなくなった場所や町が今も残っています。そして今も事故の影響によると思われる病気で苦しんでいる子どもたちが大勢います。

    津村健夫:べラルーシュと同じようなことがこんが日本でも起こるようになるでしょうか。
    ベラルーシの医師:残念ですが繰り返してしまうでしょう。

    その日の後私達の住む世界の様子はまるで変わってしまったように見えます。しかし、この招かれざる災いは他の誰でもなくわたしたち自らが作り出したという事も事実なのです。



    その日のあとで

    フクシマとチェルノブイリの今




    「3月15日」


    この日福島第一原発の2号機で爆発事故が起き4号機でも火災が起きていました。今起きている事態を確かめようと大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所を尋ねました。正門の前で実験所助教の今中哲二さんに出くわしました。

    今中:なんかもう…涙出る…。
    津村:あの、一言だけ今思っていることを。
    今中:もう、もう、チェルノブイリになっちゃった。んー…もう…
    津村:格納容器の底に穴があいた?
    今中:ううん、違う。あのぉ、使用済み燃料がどんどん…あの瞬間私涙出したわ。あれはね、ちょっと、詳細は分かんないけども、格納容器がないからね。使用済み燃料がいっぱいたまっているところで、そこに水がなくて、むき出しだから…そうだったら、もう、チェルノブイリはね…
    津村:4号機のことですね?
    今中:うん、4号機の事。

    海外から来た研究者と会うため外出した今中さんと別れ、今度はその足で同じく実験所の助教小出裕章さんを訪ねることにしました。

    菅:その範囲の外に避難を…

    丁度テレビのニュースが原発から半径20キロから30キロの住民に対して屋内退避の要請が出されたことを伝えていました。

    菅:30劼糧楼呂粒Г気鵑砲郎8紊慮胸厦Г両況を勘案しますと、外出をしないで 自宅や事務所など屋内に待機するようにしていただきたい。

    津村:先生、こういうことで本来、来たくはなかったんですけれども、今起こっているという事をまず教えていただけますか?
    小出:本当に私達が恐れている破局的な事態に向けて、一歩一歩進んでいっているという事態だと思います。
    津村:何が一番問題ですか、今。
    小出:原子炉というのは常に冷やしておかないと壊れてしまうという(電話の着信音)ごめんなさい。こういう状態で。(電話に出る)小出です。

    小出さんや今中さんは原子力の専門家ですが、安全ばかりが強調される日本の原子力開発に警鐘を鳴らしてきました。そして、事故発生以来ひっきりなしにかかってくる電話取材の対応に追われていました。

    小出:今回の場合は地震に襲われまして、まず原子炉が停止しましたので、自分で電気を起こすことが出来なくなりました。外部の電源も止まってしまって、送電が止まって停電になった訳で自分は発電できない。外部からも電気が受けられなくなったという事なのです。東京電力はもともとそういうことを想定していて、そんな事はあるかもしれないと考えていて、そういう場合には非常用のディーゼル発電機を動かして電気を自分でおこすから大丈夫だと言っていたわけですね。ところが今回の場合は津波が同時に襲って非常用の発電設備を全て破壊してしまったわけです。そうなると、自分で発電できない、外部からも電気を得られない、非常用の発電機も動かないということで一切の電気を失ってしまった。そうするとポンプが動きませんので原子炉を冷やすことが出来ない、冷やすことが出来ない原子炉は溶けるしかないということで、一歩一歩溶けるという方向に向かってきてしまっているというのが現在です。

    事故発生から4日後のこの日、3月15日の時点で、東京電力は「炉心が損傷した疑いがある」としていましたが、この時小出さんが指摘していたように、炉心の大半が格納容器内に溶け落ちるメルトダウンの状態ががすでに起きていたことが後になって明らかになりました。

    小出:(取材電話)日本の場合は卓越風が西風ですから、その日し風がずっと吹いていてくれるならば福島から出た放射能は太平洋の方に降っていく訳です。ですから、日本人は助かるという事になる訳で…はい、そうです、そうです。
    小出:(ため息)私が東京電力にエールを送るなんて事態になるとは思いませんでした。
    津村:すごく、こう、逆説的ですね。
    小出:はい。もう、頑張って欲しいです

    「3月22日」

    広島出身の今中さんは原子力開発のマイナス面に着目し、特に、1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故に関して専門に研究してきました。

    今中:僕は出来たら来週現地へ測定に行こうと思います。
    津村:福島第一原子力発電所へ?
    今中:そうです。できるだけ近付いて線量を、今現在、事故が始まってから2週間の段階で、周辺の避難されている村の放射線量がどれくらいであるかというのをきちんと測っておく必要があると。実際に入れるかどうかは知りませんけども。そうしますと、私自身の頭の中に チェルノブイリの時の放射線量が頭にありますから、それと比較することによってその事故の規模を僕は、はっきりと示すことが出来るんではないかと。

    「3月28日福島」

    この日朝、今中さんは福島県の飯館村に向かいました。村は緊急避難区域ではありませんが、放射線量の積算量が高くなっている地域が出ています。

    車内:ここから飯館村です。わーわーわ、2.9。2.9?

    福島県の飯館村は今から56年前の1955年飯曽村と大館村が合併して誕生しました。以来、農業の村、肉牛の村として歩んできました。しかし、福島第一原発の北西25キロから45キロの所にある村は、事故後の風向きや雨が災いして放射線量が高い、所謂ホットスポットであることが分かりました。放射能汚染が新聞やテレビで大きく報道され、人口6000人の村は困惑していました。

    菅野典雄村長:飯館村に放射能が回ってきていると、そういう中で農業の村、飯館村が農作物を植えたりしていいのかどうかと…
    役人:一つは原子力発電事故を収束させると…(余震発生)

    この日もまだ余震が続いていました。










    今中:(地図を指さしながら)峠のこっち側で雲が来ている時に雨が降って…どうもそういう説で説明できますから、だから、これがこっちにどの程度まで広がっているのかを押さえましょう、午前中に。

    京都大学原子炉実験所の今中さんらの調査チームは、村内をくまなくまわって空気中の放射線量や土壌の汚染の度合いを調べました。

    今中:23μシーベルト/h
    調査員:23。
    今中:24。
    調査員:うー24!

    日本の法律では一般人の年間被曝の限度は1ミリシーベルト、つまり、1000μシーベルトと決められています。今中さん達が計測した一時間当たり20μシーベルト以上の被曝を一日8時間1年間続けたとすると、年間およそ60ミリシーベルトになります。これは一般人の被曝限度の60倍で原発作業員の年間被曝限度である50ミリシーベルトをも上回ることになります。調査を終えた今中さん達は村長に結果を報告しました。

    今中:役場に入る時に測定器を2種類用意しまして、ポイントポイントで測定したと、それで、午前中はですね…。

    その後今中さんは地点ごとに測定した空気中の放射線量を等高線上のグラフにまとめました。その結果、村の南部では北部に比べて高い放射線レベルが認められました。

    村長:じゃぁ、こっから離れましょうというのは全く簡単なんですが、なかなかそういうところもないので、だから、対応策を、いくらかでも私らが、教えていただければ、できる事も出来ない事もあるんですけど、最大限やっぱりそれをやって村民を守っていくしかないと。
    今中:そうですね。今現在の恐ろしさという意味では、先々になって子どもさん達に癌が出てくる、大人の方も含めて癌が増えるのではないかと、それのリスクがどれくらいですよというのを合理的に説明することだろうと思います。

    25年前に起きたチェルノブイリ事故では、その後周辺地域で子どもの甲状腺癌や白血病が増えたという報告が上がっています。

    今中:僕は涙流すしかないです。あの、ここの今の現状がどうで、どれくらい被曝するだろうという事は僕は言えます。ある程度自分の責任で。それで、移住するとか避難するとか言うのはそれぞれの人の判断ですから僕からは言えません。多分、町長さんはそういう意味では行政は何らかの判断をしなければいけないという非常に苦しい立場だと思います。ですから、我々専門家が出来る事はそういう行政なり普通の人々が判断できるための情報をきちんと出していくという事だと思っています。そのために私は今ここに来ているつもりです。


    「4月13日」

    その後 国は飯館村を計画的避難区域にしました。

    津村:ここはあれですか?避難する場所になってますかね?
    村民:ここは非難すっとこだど。飯館って。
    津村:ああそうですか。
    村民:うん。飯舘村。
    津村:ええっとそれは、みなさん全員避難する?
    村民:今度からなぁ、みんなが非難するようになったのさ。
    津村:いつからですか?
    村民:何時だか分かんないけど、今、きめてんだ。
    津村:え?
    村民:今決めてんだ。今晩集まって相談んだ。


    津村:乳幼児は避難するようにと指示が出ていますけれども、こちらはどういうふうに?
    女性1:若い人だけでも先に避難しようという考えが、今のところ。
    女性2:あたしらはじいちゃんが寝てっから置いてかれねえから。あと身体障害者二人いっから、とても皆とくっついて行かれねえ。
    津村:じゃ、お母さんのほうはいつ?
    女性1:いつって言うか、決まり次第。まだこれからなんですけど。
    津村:家でいろいろ、じゃ相談したり。
    女性2:そうですね、それを始めていますね。
    津村:何が一番問題というか気がかりですか?
    女性1:やっぱり子どもですかね。子どものあれですかね、甲状腺ですかね。
    津村:甲状腺?
    女性1:甲状腺…癌。
    津村:今、子どもさんにはどういう影響が出るというふうに聞いてらっしゃいますか?
    女性1:今すぐではないだろうけどいつかはそういうの出てきたら困るなというのもやはりありますし、それの心配があるから、飯館村からは離れようかなという考えでいますね。

    ♪山麗しく 水清らかな その名も飯館 わがふるさとよ〜♪
    ♪緑の林に 小鳥は歌い うらら春陽に さわらび萌える〜♪
    ♪ああわれら 今こそ手と手 固くつなぎて 村を興さん 村を興さん〜♪

    福島第一原発事故は当初原発事故の深刻さを評価する国際的な尺度でレベル4とされていましたが、その後、チェルノブイリ原発事故と同じ最も深刻なレベル7に引き上げられました。

    「4月25日」

    原子力安全委員会は国の原子力政策の決定に深くかかわってきました。

    斑目春樹委員長:チェルノブイリの場合には30名近い死者を出したし、それから、その後もですね、やはり甲状腺癌の発症率なんかも有為な影響があってですね、あの、人々の健康面に非常に大きな影響を与えた事故であったというふうに認識しています。それに対してですね、今度の事故というのは、少なくても、この事故による死者は絶対に出していないし、我々としてはこれによる人々への健康被害もとにかく最小限に抑える、この点だけはチェルノブイリと今回の事故は、もう絶対に違うんだと、現時点でそう言い切れますけれども。

    確かに放射性物質の放出量はチェルノブイリ事故の7分の1程度だと言われていますが事態の収束は見通せず、放射能は今も出続けています。

    今中:チェルノブイリは原子炉そのものがドカンといって吹っ飛んだみたいなもんだがな、それに比べて今回のやつはやっぱり炉心が溶けてじんわりじんわり放射能が出てきていると。だから、比較的揮発性のヨウ素とセシウムがメインだと。
    津村:チェルノブイリとくらべるしか。
    今中:同じですよ。やっぱりチェルノブイリの迫力と言ったら変だけども、原発が事故を起こしたら周り20キロ30キロにわたって人が住めなくなるよと、そういう事態が生じていますから、基本的におんなじことが起きているんだと思いますよ。

    世界の原子力発電の歴史の中で最悪の被害をもたらしたチェルノブイリ原発事故、放射能で汚染された地域の人々は今どのような暮しをしているのでしょうか。








    「チェルノブイリ原子力発電所 ウクライナ」

    旧ソ連、現在のウクライナの北部べラルーシュとの国境近くにチェルノブイリ原発はあります。1986年の事故以来周囲30キロは立ち入り禁止になりました。発電所から車でおよそ10分。当時大勢の作業員たちが家族とともに住んだこのプリピャチという街も今は廃墟です。現在ここに立ち入るためにはウクライナ政府の許可が必要です。取材班に同行したウクライナ非常事態庁の担当者はかつて発電所の作業員として働き、この街に住んでいたと言います。当時ホテルだった建物の最上階からは発電所が望めます。

    担当者:花にあふれた美しい町でした。自分の住みなれた場所なら誰でもそう思うでしょう。私だけでなく町の住民殆どの意見です。事故後10年位はいつか町に戻れるだろうと思っていました。今はもう誰もがそれはあり得ないと理解しています。


    地面の苔に高い線量が残る。(11.37μシーベルト:ガイガーカウンター表示)

    チェルノブイリ原発事故では現在のウクライナとベラルーシを中心に広大な土地が放射能で汚染され、原発周辺30キロ圏にあった70余りの村や町からおよそ12万人が強制避難させられました。

    「ゴメリ(ベラルーシ)」

    ベラルーシ第二の都市ゴメリはチェルノブイリ原発から北へ150キロの所にありますが、高濃度の放射能に汚染されました。市内の団地に両親と一緒に住むユーリ、22歳です。10歳の時結節性の甲状腺癌と診断され14歳で甲状腺を摘出する手術を受けました。今もヘルチロクシンという薬を毎朝飲んでいます。

    ユーリ:多分チェルノブイリのせいだと思う。最初に胆石が見つかってその後甲状腺癌になって。

    ベラルーシやウクライナでは、チェルノブイリ原発事故の5年後から甲状腺癌の子どもが増え始めた事が分かっています。

    「NPO団体 困難の中の子どもたちに希望を」

    ゴメリで甲状腺の手術を受けた子どもを支援する団体を21年前に立ち上げ、ユーリをはじめ大勢の子どもの面倒を見てきたワレンチーナさんは、チェルノブイリ事故の後に生まれた子どもにも癌などの病気が多いのは、汚染された食べ物などから放射性物質を体内に取り込んで起きる内部被曝が原因ではないかと考えています。

    ワレンチーナ・ポホモワ:食べ物について誰も本当のことを言わないし測定もしていません。店で買い物をする時に尋ねても線量は基準値以下と言われます。でも環境の綺麗なところに住んで綺麗なものを食べていれば、こんな病気にならないでしょう。

    市街地近くの森にはきのこや野イチゴなどに放射能汚染の危険性があると警告する立札があります。しかし、効果はあまりなく安全かどうかは分からない食べ物が家庭の食卓にのぼっていると言います。ユーリは年前からゴメリ市内にある化学工場で働いています。月に200ドル程の収入を得るようになった代わりに、それまでチェルノブイリ事故の障害者としてもらっていた年金がもらえなくなりました。ユーリは「今の仕事に満足している」と話しますが、体調面にはまだまだ不安を抱えています。

    ユーリ:前よりは良くなっていますが病気がちで月に2週間は休みます。
    母:私はそうは思いません、悪くなっていると思います。仕事から帰ってきて何にもできないくらいです。すごく低血圧ですし、横になっているだけです。何と言ったらいいか。

    僕にして下さっている経済的援助に対してあなたのご家族に感謝いたします。僕たちの住むゴメリは春になりました。とても暖かで雪はすっかり溶けました。学校は今春休みです。身体の具合も今は比較的いいです。

    これは7年前ユーリが日本にいる里親にあてて書いた手紙です。日本のチェルノブイリ子供基金という団体が、甲状腺癌になったチェルノブイリの子どもたちを経済的に支援する里親を日本で募りユーリを里子として紹介したのです。大阪府に住む主婦多本ゆき枝さんはチェルノブイリ子供基金を通じて、2003年から2009年まで1か月に50ドルを仕送りしていました。そのおかげでユーリは薬を買う事が出来ました。

    多本:やっぱり、放射能の影響というのは小さい子どもに特に出てくるので、この子が何か悪いことをした訳ではないのに、そういう病気になってしまっているというのはすご気気の毒だなと。3年前に多本さんは長女を授かり家族写真を刷り込んだ年賀状を送ったりして里子のユーリと交流を続けてきました。しかし、今年3月に日本で原発事故が起きて以来複雑な心境でいます。

    多本:彼らはやはり広島長崎の原爆を落とされた状態から復興してきたというのを希望のシンボルのようにとらえていたんです。非常に申し訳ないとも思うんですよね。やっぱり、放射能の恐ろしさというものを知っている国として。で、そういう事になってしまったという事と、チェルノブイリの事故で悲惨なことになっているという状況を分かっていながら日本も同じようなことになりつつあるという状況が残念です。

    ベラルーシでも日本の原発事故による放射能汚染のニュースが一時盛んに報道されました。ユーリはベラルーシで起きたようなことが日本で起きて欲しくないと願っています。

    ユーリ:そんな事になって欲しくないです。自分も長い間辛い体験をして10歳から12歳までの一番楽しい時期を病気で過ごしましたから。

    「子ども健康回復センター“希望21” ベラルーシ」

    ベラルーシの首都ミンスク郊外にある子ども健康回復センター『希望21』は放射能汚染地域に住む子ども達の健康回復を目的に1994年に開設されました。色々な地域からやってきた子どもたちが健康状態に応じた治療や、スポーツ芸術のクラブ活動などを中心に24日間を過ごします。また、このセンターでは子どもたちが身体の中に取り込んだ放射性物質を外に出すのに効果がある食事を提供しています。

    イレーナ:第一にできるだけ汚染されていない食べ物を食べること。それもペクチンが多く含まれてれている物を食べる事です。

    センターに来た時に測った体内のセシウムの値が帰る時には20%減ったケースもあったといいます。子どもたちが汚染地域に帰ってからもできるだけ健康に暮らしていけるように、さまざまな経験を積んで知識が得られるようにしています。

    「チェルノブイリ子供基金」

    東京にあるチェルノブイリ子供基金は、チェルノブイリの子ども達に日本人の里親を紹介する取り組みに加え、子ども健康回復センターの開設当初から子ども達の滞在費用を一部負担するなど経済的な支援をしてきました。

    佐々木事務局長:汚染されていない地区で安全な食べ物を食べたり空気を吸ったりして元気になってもらおうという、そういう事を最初やっていて、それがずっと続いけていて今年で13年目になるんですけれども、2、3年前からは甲状腺癌だけでなくて、いろんな癌の子どもたちが出てきたので小児癌の子どもたちをということで続けています。

    ベラルーシでは3歳から18歳までの子ども165,000人が今も放射能の汚染地域に住んでいます。癌などの病気の発生は汚染地域に多いとされていますが甲状腺癌以外はチェルノブイリ事故が原因と認められていません。国は統計調査を一切公開せず、いわばタブーになっています。

    イレーナ:私達はチェルノブイリの影響はまだ100年続くと考えています。ところが政府や学者たちは住民の被曝は自然放射能によるものだとか、毎年やっている肺のレントゲン検査によるものだと主張しているのです。

    イレーナさんは3月11日以来センターにくる子ども達に日本の原発事故のことをつとめて話して聞かせるようにしています。

    イレーナ:子どもたちはチェルノブイリ事故を思い起こし自分の健康状態についても考えました。つまりフクシマがチェルノブイリと自分の将来について考えるきっかけになったのです。

    津村:日本で3月に地震が起きて原子力発電所の事故が起きた事は知っていますか?
    子ども:知ってます。
    津村:そのことについてみんなどう思いますか?
    子ども:幸せでありますように。
    子ども:これ以上こういう事故が起こらないことを祈ります。









    「4月29日東京」

    この日東京で開かれた講演会は 1000人入る会場が満員になり、なおかつ1000人の人が入場できずに帰ることになりました。京都大学原子炉実験所の小出さんの講演会です。

    小出:原子力発電所というのは今から聞いていただこうと思いますが、とてつもなく巨大な危険を抱えたものです。それを、電気を使う都会には引き受けることが出来ずに過疎地に押し付けて長い送電線で都会に電気を送るという事をやっているものです。それに気が付いたのは私は40年前でしたが、こんな事故が起きる前にと思ってきたのですけれどもとうとう事故が起きてしまいました。今、福島の人達を中心にとてつもない悲劇が進行しているわけで、それを防げなかったという事を なんとも言葉では尽くせない無念さで いま毎日を過ごしています。また、原子力という場に携わってきた人間の一人として 今回の事故を防げなかった責任が私にもあると思います。皆さんに対して本当に申し訳ありませんでした。ごめんなさい。

    福島では学校の校庭を利用する目安として、国が被曝線量の上限を年間20ミリシーベルトにした事に子どもの保護者らから不安の声が上がっています。

    講演の客:一生懸命やってきた人に謝られて、とても恥ずかしくなりました。わたし今まで、子どもがまだ小学生と中学生で、子ども達のために今まで何をしてきたのか。なんか、涙が出そうになっちゃって。自分が何て愚かだったんだろうと反省しました。

    講演の客:やっぱり福島ですよね。戦っている方たちがいっぱい居る中で 東京のこの電力を使っている人たちが一切そういう事に対して何とも思っていないですからね。普通に生活しているけれども、実はそういう人たちが戦っているから、今私達が平気な顔して生きていけるんだというのを、あまりにも知らないってことが辛いですよね


    「5月22日大阪」

    福島第一原発では事故発生以来、原子炉を水で冷やす作業を続けていますが、そのために生じた大量の汚染水の処理をどうするかがまた新たな問題を生んでいます。

    今中:我々、原発は事故が起きるよ事故が起きたら大変だよと言って、彼らは大丈夫だ大丈夫だよという事を言っているわけですけれども、それはあくまでも方便だと、原発を作るための方便だと思っていたんですけれども、どうも、今回の事故を受けて、原子力安全員会の委員長や東京電力などの対応を見ると、原発は絶対に安全だと思っていたふしがありますね。そして突然「想定外」だと言いだすんですけれども「想定外」何て起こるのは当たり前だと…。

    研究者としてこれまでウクライナやロシアで調査にあたってきた今中さんですが、これからは逆に日本で実際に事故が起きてどのようになったかを報告しに行かなければならないと考えています。


    「5月23日東京永田町」

    この日参議院の行政監視委員会の参考人の一人として小出さんが出席することになりました。

    小出:私はもともと政治大嫌いでして、こういう場所に自分で来たいと思った事はありませんけれども、ことがことで、何とか福島の人達の苦難を少しでも減らしたいと私は願いますし、そのために今日の場が役に立つのであればと思って私は来たわけですし
    国会という場、むしろ国家の機関が、私の意見を聞くというような事は原子力の歴史の中では、かつてあり得なかったことだと思いますので。

    「参議院行政監視委員会」

    小出:現在進行中の事故にどうやって行政が向き合ってきているかという事についても大変不適切な対応がわたしは沢山あったと思います。防災というものの原則は危険を大きめに評価してあらかじめ対策をとって行く、住民を守ると、もし危険を過大に評価していたのだとすればこれは過大だった、でも住民に被害を与えないでよかったと言って胸をなでおろす、それが防災の原則だとおもいますが、実は日本の政府がやってきた事は一貫して事故を過小評価して楽観的な見通しで行動してきました。パニックをさける唯一の手段というのは、正確な情報を常に公開する態度だろうとおもいます。そうして初めて行政や国がが住民から信頼を受ける、そしてパニックを回避するんだと私は思ってきたのですが、残念ながら日本の行政はそうではありませんでした。常に情報を隠して危機的な状況じゃないという事を常に言いたがるということでした。

    事故から3カ月、これまで原子力を大きな力にしてきた日本のエネルギー政策は見直しを迫られています。

    「ナロジチ地区 ウクライナ」

    ウクライナのナノロジ地区はチェルノブイリ原発から70キロの所にあり、事故によって大量の放射能に汚染された場所です。町には国から人が住んではいけない地域に指定されたところがありますが、およそ3000人が暮らしています。

    津村:ここは安全なんですか?
    町民:放射能はあちこちに広がってしまったからねぇ。私達はもう順応していますよ。
    町民:どこから来たの? 日本からねぇ。お互いに大変ねぇ。今日本でもこっちみたいな事が起こっているんでしょ。いいことは何もないねぇ。いいことは何も言えやしないね。

    畑一面の菜の花の中で調査をしているのは国立ジトーミル農業生態学大学ディードフ准教授とその教え子の学生たちです。放射能に汚染された土地に菜の花を植えることで土壌を浄化する実験に取り組んでいます。ここは国から作物を植えてはいけないとされていますが特別に許可を得ています。

    ディードフ准教授:どんな作物でも基本的には土壌にあるセシウムやストロンチウムを吸収します。特に菜種は土壌の栄養分を多く吸収する性質があるのでそれに比例してセシウムやストロンチウムも吸収するのです。

    2006年に名古屋にあるNPO団体チェルノブイリ救援中部がアイディアを出し、この菜の花プロジェクトをディードフさんやナノロジ町の人達と協力して立ち上げました。収穫した菜種は油を絞ってバイオディーゼル燃料として使う事が出来るのです。

    津村:放射能はどっちへどこに行くんですか?
    ディードフ:種子を加工するプロセスで放射性核種の大半はこの搾りかすの方に入ります。油にはほとんど入りません。入ったとしても1キロあたり5〜7ベクレルです

    絞った油はこの機械でバイオディーゼル燃料に加工され、今実際に菜の花畑で使っている耕運機などの燃料になっています。この機械は日本の援助で送られました。


    竹内高明(チェルノブイリ救援中部):この装置自体は菜の花プロジェクトを考案した段階で、すでにサイクルの一つとして入ってたわけです。ですので、何故こういうものを送ったかという事は、何故菜の花プロジェクトをやり始めたかという事になる訳ですけれども、この地区の主要産業というのは農業ですので、そうした時に汚染されている農地の汚染を軽減できないかという事とエネルギーの自給という事もある程度できないかという事を考えて、
    それがひいては地域の復興にならないかと。

    飯館村などで「菜の花プロジェクト」のようなことが出来ないか、日本の農水省が4月の末に視察に訪れディードフさんにも話しを聞きました。

    ディードフ:日本には水田がありますね。汚染された水田では土壌の一番上の層を取り除かないと稲作がほとんどできなくなります。その代わりに汚染された水田に食用ではない菜種を植えることが出来るのです。我々の経験が役に立つならサポートします。

    チェルノブイリ事故から25年、3月11日という日は日本の歴史に深く刻み込まれることになりました。その日を境に日本の立場は支える側から支えられる側に変わってしまいました。ストロンチウム90の半減期は28.8年、セシウム137は30年、プルトニウム239にいたっては半減期が2.4万年です。チェルノブイリ事故が21世紀に贈られた負の遺産だったように、フクシマが後々まで受け継がれる負の遺産であることは疑いようもないのです。





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