きっと多分、そこにいる。

    2010.09.18 Saturday
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     先日、オタクの街、日本橋のとある小劇場で芝居を観てきた。クーラーの効きすぎたビルの一室、舞台の上手側に暗幕で遮られた小さなトイレがあり、誰が用を足しにいくのか、会場にいる観客全員にわかってしまうシステムだ(笑)。

     沖縄の小さな離島の車いすの男が店主のカフェ「あだん」が舞台で、そこに勤める二人の女性、そして近所の客(妻を失くし、その妻にメッセージを届けるために毎日風船を飛ばしている)、隅でタロットをしている中年女性客、婚前旅行にきたカップル、船から落ちた男性客、島に昔から住みついている妖怪キジムナーなどが登場する。で、芝居は一言で言うと、つまらなかった。いったい何を伝えたかったのだろうかと思う。気になったところを思いつくまま書いてみようと思う。

     例えば、ジェット機の爆音が聞こえ、「フェンスの向こうは外国。」という台詞はあるものの、ただそれだけで終わっている。基地問題が取りざたされている現実がある中で、こんな中途半端な触れかたはもどかしい。

     キジムナーが運んできた魚。やすっぽい水色のまんぼうのような縫いぐるみを使っていた。もっとリアルなものを用意することは出来なかったんだろうか。なんだけ見ていてしらけた。

    キジムナーがしかけた「惚れ薬」も、これは演出の悪さが目立ったのか、そんなドタバタも笑えなかっし、キジムナーがお詫びでしかけた何かの薬も、なんだかよくわからなかった。正直な気持ちを口にだせる薬だったんだろうか。最後にマスターもその薬を飲んでしまったけど、なんの予感もできないまま幕は閉じてしまった。

     中年女性客が振り回すのこぎりの演出も、まずかった。やはり台詞が生きていないから、演出もわざとらしくなってしまうのだろうか。キジムナーの台詞の取り違えも、同じような感じだ。わざとらしさが目立っただけで、笑えない。

     また芝居の終盤で、店員が妊娠していることを打ち明ける場面ある。赤ちゃんの父親とは別の人と結婚することになり島を離れると言うのだが、その父親も結婚相手も、この芝居には何の関わりもない人物なので、あまりにも便宜的な使い方だと感じた。

     ホモのカップルと女性と三人で暮らそうという安易な結末も、どうかなと思う。芝居を終わらせるために、そこへ導かれた感じで、必然性も裏切り的な驚きも何もなく、ただ気持ち悪さを感じただけだ。 

     題名は「きっと多分、そこにいる。」とついている。何がそこにいるんだろうと考えてみた。天国にいる妻、一部の人にしか見えないキジムナー…。この二つしか思い浮かばなかった。僕が見つけられないだけかもしれないが、「きっと多分、そこにいる。」ものがもっとたくさん思い浮かべられるような芝居であって欲しかった。

    キジムナーの使い方ももったいないような気がした。どうせならもっと自由に動き回らせて、はじけた舞台が見たかった。

     さて、ここから本題だ。カフェのマスターは車いすで登場したので、何故車いすなんだろうと、芝居を見ながらずっと思っていた。車いすにどんな意味を持たせているのだろうと。そしたら中盤で、マスターは元傭兵でこんな体になったという台詞があった。ま、一応は納得し、アロハの袖の下から見えているタトゥーもそのための演出かと思ったが、元傭兵の割には体も小さく、少し無理があると感じていた。

     芝居が終わってから知ったのだが、その人は、本当に車いす生活者だったのだ。少しショックを覚えた。それは、車いすに意味を求めていた自分にだ。何か重要な意味のある演出だと思っていたからだ。逆に言うと、重要な意味がなければ車いすで舞台にあがるのはふさわしくないと思っていた自分がいるということだ。これは偏見以外のなにものでもない。

     ということで、おそらく芝居の本筋以外で、重要なことに気づかせてもらった舞台であったと思う。しかし、脚本はもっと頑張って欲しいのが本音だ。もっと深みを!


    JUGEMテーマ:演劇・舞台


    The Men Who Bombed Hiroshima

      2010.08.28 Saturday
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      輪郭の薄くなった入道雲が背丈も低く向こうの空に在る。日差しはまだ肌に差し込むような勢いはあるが、光の束が細く感じる。笑い事では済まされないほどの暑さになった夏もやっと終わりの始まりを告げようとしているのだろうか。

      そんな暑さに完全に体調のリズムを壊されてしまった八月の終わりに、熱い芝居を観た。「広島に原爆を落とす日」先日亡くなられたつかこうへいの作品だ。愛する女性の為に政府に指令を受けた在日朝鮮人が広島に原爆を落とすという、わけのわからない物語だ。

      つかこうへい作品には、昔、映画や小説で触れたことはあったが、舞台は初めてだった。どの役者も最初からかなりのハイテンションのまま、半ば絶叫のような台詞で物語は進んでいく。まるで全力疾走だ。だから聞きとれない台詞もあり、最後まで我慢できるだろうか、吐き気を催したらどうしようかという不安が頭をかすめた。

      しかし、いつのまにか洗脳されるがごとく、その世界に馴染んできている自分が居た。物語はハチャメチャだが、筧利夫が放つ熱気とその台詞に体が縛られていき、息苦しさと快感を感じてしまうのだ。ベクトルの角度は一定だが、方向が瞬時に入れ替わり、その太さと長さが心の子宮を突っつくのだ。メッセージの伝え方がカッコいい。靖国神社の協賛を受けた「歸國」とは比べ物にならない。

      恐らくそこまで感じなかった人には、姦しいだけで終わった芝居かもしれない。万人に愛されるものでないような気がする。実際、僕の並びに座っていた人は途中退席したまま帰って来なかった。

      初舞台の仲間リサは良かった。乳を揉まれるのはつか芝居の恒例らしいが、彼女の左胸が気になって仕方なかった。しかし、リア・ディゾンは唯一足を引っ張っていたように思う。マイクが口の横についているのにも関わらず声が小さく、オーラも何も感じない役者だ。

      カーテンコールが何度かあった。最後は会場の明かりもついたので、もう終わりだと思って立ち上がろうとした時に、何度目かの幕が開いた。筧利夫がゼスチャーで立つように促したので、観客は立ち上がりスタンディングオベイションとなった。頭上で何かが炸裂した。たくさんの金銀のテープが舞い降りてきたのだ。最後の最後までテンションの高い舞台だった。お陰で、体調が元に戻ったみたいだ。癖になりそうだ、まったく。



      歸國

        2010.08.15 Sunday
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        「北の国から」は若いころ僕はバイブルのようだと崇めていたのだけれど
        やはり倉本聰氏の旬は終わったということだろうか。

        彼の言いたいことや、気持ちは充分伝わってはきたが、
        ドラマ作品として、どうだったんだろうか?

        あまりにも語りすぎだ。
        特に前半は、狂言回しの生瀬が、すべて説明してまわる。
        画面にほとんど動きがない。
        まるでナレーターだらけの中学生の芝居のようだ。
        映像がなくても、成立しそうだった。

        その時点でチャンネルを変えた人はたくさんいたことだろう。
        これが舞台なら、仕方なしに最後まで観てしまうが
        TVなら、リモコン操作で簡単に退場できる。

        もっといろんな葛藤が欲しかった。
        そして映像でそれを見せて欲しかった。

        僕なら、例えば、汽車から降りた兵隊さんが都会のど真ん中の、
        自動車がびゅんびゅん走る道路にうずくまって泣きだすという場面を作る。
        そしてその四方30mほどだけが、時間的に遡っていく。
        都会がやがて焼け野原になり、
        焼夷弾が降る町になり、
        出征を祝っている家族の場面になり
        戦争前の平和な町になり、
        してそこで若き父母に出会い、自分を可愛がっている場面になり
        思わず、父母の名前を呼ぼうとした瞬間に現代に引き戻される。
        そんな場面を考えた。

        小栗旬と八千草薫の場面も、感動的なものであるはずなのに、
        最後の台詞でしらけてしまった。
        「今の子どもたちは歌を忘れたカナリヤなのよ。」
        なんてステレオタイプの台詞だ。
        そしてその台詞にたいして小栗旬は、もっと子どもたちに歌を歌わせるんだと言う。
        いくら音楽が好きな設定だとしても、愛しい人との再会で、気持ちがそこにいくだろうか。
        なにかチグハグなものを感じた。
        ようは語りすぎなのだ。

        一番語りすぎの場面は、最後の東京駅での場面だろう。
        今の日本について、長淵剛が生瀬にまとめをさせている。
        おっしゃることは確かにそうで、「便利さは豊かさでない。」は共感できる。
        しかし、ドラマの手法としてはどうだろう。
        あまりにも直接的すぎるのでは。

        戦争の被害者は、何も戦争に赴いた兵隊たちだけではない。
        銃後で無念な死に方をした人もたくさんいる。
        語るのなら、そこまできちんと語って欲しかった。
        生瀬の傷を晒すだけで、済ませて欲しくはなかった。

        昨日、8月14日は、最後の大阪大空襲があった日だ。
        もう降伏がほとんど決定されている中での、駄目押しの空襲だったという。
        どれだけ無駄な死があったことだろう。

        だから靖国神社を中心に語って欲しくはない。
        靖国神社を参拝しない政府をなじっても良いが
        手を会わせてもらえずにいる無駄死にをした一般国民だってたくさんいるのだ。
        今の日本を悲しんでいるのは、戦地に赴いた兵隊さんたちだけではないだろう。

        倉本氏が、英霊たちの「鎮魂」のために書いたというのなら
        誰の為に、彼らは死んでいったのか、
        いや彼らだけではなく、国民の無駄死には誰の所為なのか、
        その責任を明らかにして、その人に謝罪させる場面を作るのが、
        一番の鎮魂だと、僕は思う。




        「たまたま、素敵。」

          2010.06.13 Sunday
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           「人は誰も愛される権利がある。」とコスタリカでは小学校で習うそうだ。年間三万人も自殺する日本には、愛されていないと思う人が多いのだろう。日本は完全に病んでいる。これは国家の責任であり、今のままの価値観では、自殺者が減ることはないだろう。

          「たまたま、素敵。」を観てきた。自殺者が多発するあるマンションの一室での物語だ。土曜の夜だからか小さな芝居小屋は通路にまでパイプ椅子が並べられ満員御礼だった。僕は勿論初めて観たが、12年前から色々な劇団で演じられている有名な作品だったようだ。

          出演者の大半が若い役者ばかりで、熱心な演技に初々しさを感じた。しかし、その力の入れ具合が、観客を置いてきぼりにしているような感じがした。特に最初の方の、台詞のくどさが鼻につき、面白いのだけれども笑えない閉塞感があった。リズムが単調過ぎたのだろうか。途中から、微妙な間が発生してきて、やっと笑えるようになってきた。そして、竹田朋子さん演じる夏目麗子が登場してきて、やっと舞台の上にしっとりとした調和が出来てきたように感じた。さすがだ。安心したと言うか和んだと言うか。竹田さんの落ち着いた声質も良かったのだと思う。やはり声が出来ていない若い役者たちの、高い音や力の入れ過ぎた声は、聞いていて疲れてくるから。

          でも後半はそんなことも気にならないようになってきた。最後の白い衣装に着替えて登場してくる場面では、気持ちがぐっと高まり、それぞれの登場人物の背景が愛おしくなってきたのだ。誰か一人でも、自分を認めてくれ、必要としてくれる人がそばにいれば、人はなんとか生きていけるものなのだ。出演者の皆さま、お疲れ様でした。そして、ありがとう。

          僕も自分なりの「たまたま、素敵。」の脚本を書いてみたくなった。


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          往くも還るも

            2010.01.19 Tuesday
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            小学校の時、教室で浅間山荘事件のニュースを見たのを覚えている。担任の先生が見たかったのか、僕らに見せたかったのかは、わからない。

            中学の時は、四畳半フォークが流行りだした。体制から負けた若者は四畳半に閉じこもってしまったと、マスコミでは言われていたような。

            高校入学の春、同じ高校の先輩が旅客機をハイジャックしたというニュースが流れた。入学した高校は組合が強いという理由からか、理系文系に関係なく、全員が数靴泙燃惱させられた。大学は二浪したあと、芝生が有名な大学に入学した。ヘルメットやゲバ棒など、そんなダサイものは一切に目に触れたことはなかった。

            僕が歩んできた少年から青年時代は政治的な匂いを嗅ぐこともなく、所謂三無主義のような青春時代を過ごしてきたのかもしれない。その時々の時代に何の疑問も矛盾も感じなく、のんべんだらりんと生きてきたのだ。闘ってきた人たちのことなど、これっぽちも考えたことはなかった。

            そして世の中はやがて好景気になり、周りの安月給の人まで株を購入したりして、何かとんでもない時代に突入した気がした。でも、すぐにバブルははじけ大損をしたと嘆く人が巷にあふれた。そして、あの日がやってきた。空から大王がやってくる前に、関西の一部で大地が裂けたのだ。たくさんの人が亡くなりたくさんの人が傷ついた。今もその傷からは血が流れている。

            それでも時間は止まらず、世の中の動きは破滅に向かっているとしか思えない時代になってきている。数字だけが尊重され、それ以外のものはどんどん切り捨てられている。自分さえ良ければそれでいいと、上に立つものもそれに従うものも、みんなぞろぞろと破滅の道へと歩んでいる。

            1月17日に神戸アートビレッジセンターで「往くも還るも」という芝居を観た。その芝居を観て僕は思った。

            芝居では1995年1月17日午前5時45分まで描かれていた。登場人物たちは、その後どうなったかはわからない。それは観客の想像にまかせられるのだろう。たとえ生きていたとしても、あの時代よりもさらに悪い時代になっていることは確かだから、彼らが幸せになったかかどうかはわからない。

            それでも、僕らは生きていかなければならない。何を大切にしていかなければならないのか、何と闘っていかなければならないのか。こんな時代だからこそ、今度こそは考えていかなければならない、と芝居を観て思ったのだった。




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            「焼肉ドラゴン」

              2009.12.19 Saturday
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              たまたまBSを見ていたら、始まった。

              時代設定は万博の頃で、舞台は大阪の下町のコリアンタウン。架空の町だ。共同水道が一本あって、下水道もないという設定らしい。戦後、空き地に不法占拠して建てられたトタン屋根のバラックがずらりと並んでいる。空港の近くにあるらしく、飛行機が離陸するたびに、トタン屋根ががたがた響く。舞台の左側は倉庫のようなバラックがあり、その前に裸の水道が一本立っていて、周りには錆びた一斗缶とアルミの洗濯ばさみで挟まれた洗濯物が干されている。倉庫の向こう側には、廃材やら自転車の車輪やら錆びた鉄材が無造作に積み上げられている。舞台の右側は「焼肉ドラゴン」。古ぼけた大きな看板が店の上に掲げられている。店の中には三人しか座れないカウンターと、四人も囲んだら狭いようなテーブルが一つ。奥は座敷になっていて、卓袱台が二つ。舞台右側には韓国の人形などが並んでいて、その上には汚れた換気扇が絶えず回っている。奥は、磨りガラスの障子があり、そこをあければ小さな箪笥が見える。障子の前には、一年中扇風機が置かれている。店全体は焼肉の煙の所為か、くすんだ色になっている。そして右手の倉庫と焼肉ドラゴンとの間は路地になっていて、段差のあるゆるい昇りの坂道になっている。

              もうそれだけで、僕は惹きつけられた。そして、倉庫の屋根の上に登ったその店の一人息子の台詞からこの芝居は始まる。「僕は、この町が嫌いです。」

              焼肉ドラゴンの主人は戦争で片腕を失っている。腕だけではなく、済州島で故郷も家族もなくし、日本から帰ることもできずにいたところ、妻に出会い、お互い再婚したという設定だ。そしてこの物語でも、大事なものを失くしてしまうのだ。喪失だらけの人生ではないか。「働いて、働いて・・・」という彼の台詞。家族の為に働き続けてきただけの人生。しかし、その家族も店も・・・。

              桜吹雪がトタン屋根に積もるのを見て、「こんな日は明日が信じられる。」と、リヤカーにわずかばかりの荷物と太った妻を積んで坂を登っていく場面で幕は閉じられる。

              TVの画面を通して見るだけでも、胸に迫るものがあり、涙が止まらなかった。これを生で見たらいったいどれだけの感動に襲われるのだろうと思う。ああ、生で感じたい。



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              パギやん&姉様キングス

                2009.11.01 Sunday
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                パギやん(趙博)の「声体文藝館」なるものに行ってきました。映画を語ってくれるライブです。評論ではなく、映画そのものを語りで実演してくれるのです。



                今回の題材は「泥の河」でした。宮本輝の「河三部作」のひとつです。僕は映画は観ていないのですが、小説は昔読んだことがありました。でも、ほと んど内容は忘れていたのですが、今日のパギやんのライブで鮮明に蘇りました。まるで映画を観てきたようです。 最後のほうはすすり泣きが聞こえてきたりして、思わず僕も涙ぐんでしまいました(笑)

                会場のレインドッグスという梅田のライブハウスは超満員でした。年齢層は高かったです。50代以上が多かったように思います。前座で「姉様キング ス」が出演したんですが、これもまたオモロカッタのです。小唄、都々逸、阿呆陀羅経など古典的音曲芸を中心とした芸で、その質が高いこと!一発でファンに なってしまいました。



                朗読劇「夕凪の街 桜の国」

                  2009.08.15 Saturday
                0
                  子どもの頃は漫画が好きで、小遣いはほとんど漫画雑誌やコミックで消えていた。でも大人になるに従い漫画から遠ざかり、特に最近の漫画はほとんど受け付けない。絵を見ただけで拒否反応を起こしてしまう漫画がほとんどだ。

                  数年前、「夕凪の街 桜の国」と言う漫画が話題になった時も読みたいと思ったのだが、書店で絵を見た途端、読む気を失っていた。

                  だから、大阪女優の会の「夕凪の街 桜の国」の朗読劇は、どんな物語なのか全く知らないまま、何の予備知識もなく、今日観てきたのだった。でも、漫画の印象があったので、先入観としては、あまり良いものを持っていなかったから、そんなに期待はしていなかった。漫画が朗読劇になると言うこと自体が、いったいどんなものになるのか、イメージが浮かばなかったのだ。

                  劇が始まり、作者の生い立ちの紹介から朗読が始まり、ト書きのようなところも朗読していることに、最初は少し戸惑いを感じたが、観ているうちにその違和感もなくなり、次第に物語りに引き込まれていった。朗読者の立ち位置の移動や、顔の表情や体の抑制された動きなどはあったが、基本は朗読を聴くことなので、喚起される自分のイメージと舞台の上がほどよく交じり合い、今までに味わったことのない感性を刺激されたのだ。もちろん物語にも感銘を受けたが、朗読劇でこれほどイマジネーションに刺激を受けたことに感動した。来年もまた是非、観にいきたい。

                  明日も、心斎橋のそごう劇場で13:30より上演されるので、興味がある方はどうぞ。

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